PHSの終わりと、ワイモバイル国内通話ずっと無料キャンペーン

10月 2nd, 2017

PHSの新規契約は、ついに、来年2018年3月31日で一切受付が停止になる。ちなみに、機種が故障しても、機種の交換も、中古機種への入替も不可となる。

といっても、そもそも、1年くらい前から、PHSはほとんどの機種で新品での販売は停止されており、契約をしようと思えば、中古機種をオークションサイトなどで購入して、持込して、機種変更・新規契約をするしかない状態だった。

私も、スタッフ用のPHS電話機の交換は、そうして調達するしかない状態だった。

逆に言えば、そういう意味では、今でも、PHSの新規契約も、MNPによる転入も、PHSの実機さえあれば、しようと思えばできるのである。

今さらPHSの契約をするような人はまずいないわけであるが、実は、まったく意味が無いわけではない。

実は、2017年8月1日から2018年1月14日まで、ワイモバイルの「スーパー誰とでも定額」ユーザー向けの、4G回線(ガラホ・スマホ)乗り換えキャンペーンが実施されている。

これが、とんでもなくオトクなキャンペーンなのである。

ケータイ・スマホに契約変更で、国内通話ずーっと無料キャンペーン
http://www.ymobile.jp/cp/tsuwamuryo/index.html?ref=toppick

なんと、次回機種変更まで、スーパー誰とでも定額月1000円が無料(基本料金だけでよい)というものである。ガラホ(メール・Webオプションを解除してしまう)であれば、なんと、機種代金込みで、基本料金のみの月980円+税の月額料金で、他社携帯・固定まで掛け放題となる。

これは電話のカケホーダイを重宝して使っている人間にとっては、おどろくほど有利な条件である。ドコモ・ソフトバンク・AUの掛け放題は、同じ条件なら月2500円はするからである。

PHSのスーパー誰とでも定額が、メール・Web付きで1500円で他社掛け放題だから、ガラホ通話のみ980円より、PHSの方がオトクでもある。

あるいはメール・Webはスマホで別に足りるという人には、基本料金込み980円だからPHSのスーパー誰誰とでも定額よりさらにオトクになるのである。

また、ドコモ・ソフトバンク・AUのユーザーでも、今からでもPHSにMNPをして、ただちにワイモバイル(ソフトバンク電波)の4G回線に乗り換えることで、月980円の掛け放題のガラホを持つことができる。

ただし、PHSにMNPしようと思えば、PHSの端末を持ち込まないと、ショップは受け付けてくれない。つまり、必ずPHSの中古端末が必要なのである。

ワイモバイルにこんな持ち込みによるMNPを今からしても、このずっと無料キャンペーンは適用されるとのことである。

そして、一旦契約すれば、機種変更をしない限り、ずっと980円で4G回線の他社掛け放題が使える。

さすがに、4G回線がなくなってしまうような遠い将来には、使えなくなるだろうとは思うけれど。

但し、この乗り換えキャンペーンにはいくつか注意点がある。

掛け放題契約には2年縛りがある。2年目以外の月での解約は9500円の違約金。これはドコモ・ソフトバンク・AUの掛け放題と同等である。PHSの副回線(縛りなし)ほど有利ではないが、さすがにもはや比較しても意味が無い。

次に、一旦乗り換えれば、名義変更できない。つまり他人への契約譲渡はできない。契約譲渡をすると掛け放題は月2500円に跳ね上がる。

また、機種変更すると月2500円に跳ね上がる。だからショップでの「機種変更」は禁忌である。

それではガラホが壊れたときに困る、というかもしれない。

しかし、これは容易に解決可能である。

もし端末が壊れれば、中古でワイモバイルのガラホを買えば、そのままSIMを差し替えて使える。

SIMフリーのガラホも、各種新品が販売されている状況である。

だから、壊れてもワイモバイルショップに行って機種変更する必要が無い。

そもそもワイモバイルのガラホのSIMは、ソフトバンク電波の4Gであり、4GスマホのSIMと変わらない。

現状では、ガラホのnano SIMを、SIMフリースマホに挿してしまえば、普通に通話専用端末として使える。

これは、ネット情報でも、ワイモバイルショップでも、可能ですといっている。

つまり、2台持ちにして、ワイモバイルの掛け放題ガラホ(月980円)のほかに、もう一台データ通信専用の格安スマホを持てばよいのである。

2台持ちは嫌だという人は、スマホ1台で済ませる応用テクニックとして、例えば、SIM二枚挿し・2枚待ち受けができるスマホに挿せば、データ通信はもう一枚の格安SIMで行えば済むということになる。合計で2000円程度で掛け放題スマホ環境の運用ができることになる。

こうやってみると、なかなか、驚きの超お得なキャンペーンである。

このキャンペーンは法人でも個人でも契約可能だそうである。

私は、スタッフ用に携帯電話を複数台契約しているが、このキャンペーンでさすがにPHSからガラホに乗り換えようと決断した。

PHSは電磁波がスマホの何十分の1と格段に低く、耳鳴り予防によいので、ずいぶん重宝してお世話になったものだが、とうとうお別れである。

これからは、bluetooth ヘッドセットなどで電磁波対策をするしかなさそうである。

ガラホは、電磁波量はスマホよりは少し低いくらいで、それは不満であるが、電池の持ちがガラケー並みによいし、なによりエリアが拡がるので、まあ、乗り換えもやむを得ないとは思っている。

それにしても、ガラホに乗り換えたあと、契約が消滅したPHSの中古端末が、手許に何台も余ってしまうことになる。

ドコモ・ソフトバンク・AUの契約の人も、一旦ワイモバイルのPHSにMNPして、さらにガラホに乗り換えれば月980円掛け放題になるので、知人に希望する人があれば、融通してあげようかと思っているところである。

しかしあまりにニッチなやり方なので、誰もやりたがらないだろう。

そもそも掛け放題自体の需要が、若い世代では壊滅的になくなっている。

そもそも世の中の人はほとんどこんなオトク情報は知らない。

若い人には掛け放題など興味がない。

ワイモバイルがいくらPHSをてこ入れしても、掛け放題の需要自体がニッチとなってしまっていたために、退潮傾向を止められなかったのである。

現在も数百万回線という単位で生き残っているPHS契約者は、基本的に、話すことが多い人のはずであるから、こういうキャンペーンが成立するのである。

ガラホといっても、若い人から見れば、なにそれ、である。

しかし、年配層は、電話するには、ガラケー、ガラホの方がかけやすい、便利だ、スマホはすぐ間違い電話をかけてしまうから嫌だ、という人が今も相当数存在する。

未だにPHSから移行しない根強い既存ユーザーの存在は、今もレガシーなガラケーを好む年配層の存在と無縁では無い。

PHSのエリアは昔と比べると格段に広いため、ほとんど不自由はしないのだが、今でも山間部では電波が入らないところがあるので、エリアが狭くてダメだという昔ながらの先入観は否定しがたいものがあり、到頭それを克服できなかった。

今回のオトクなキャンペーンは、ひっそりと終わりゆくPHSに別れを告げなければならない長年の愛用者のための、お別れのお礼の儀式のようである。

長時間話す上で、PHSを電磁波回避対策として愛用していた者にとっては、一層のさみしさを感じる、PHSとのお別れである。

共謀罪に反対する日弁連による国連立法ガイドの誤訳について

5月 16th, 2017

共謀罪に反対する日弁連による国連立法ガイド51項の論点について、話してみたい。

日弁連は、共謀罪に反対する理由として、

2006年9月14日付け意見書
https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2012/120413_4.html
において、

51パラグラフは非常に重要なことを述べている 「本条約は,世界的な対応の必要性を満たし,犯罪集団への参加の行為の効果的な犯罪化を確保することを目的としている。本条約第5条は,このような犯罪化に対する2つの主要なアプローチを同等のものと認めている。第5条第1項(α)(ⅰ)および(α)(ⅱ)の つの選択肢は,このように,共謀の法律 (conspiracy laws)を有する諸国もあれば,犯罪結社の法律(criminal association laws)を有する諸国もあるという事実を反映するために設けられたものである。これらの選択肢は,共謀または犯罪結社に関する法的概念を有しない国においても,これらの概念を強制することなく,組織犯罪集団に対する実効的な措置を可能とする 」。つまり,英米法の共謀罪(コンスピラシー)や,大陸法の参加罪(結社罪)を導入しなくても,犯罪防止条約第5条の要件を満たすことが可能であることを立法ガイドは認めている。

として、「国連犯罪防止条約を批准するのには、共謀罪、結社罪(=参加罪)のいずれも導入不要である」
という根拠として主張している。

共謀罪法案の提出に反対する刑事法研究者の声明
http://www.kt.rim.or.jp/~k-taka/kyobozai.html

でもなんと162名の学者や弁護士が、声明書中で、

本条約についての国連の「立法ガイド」第51項は、もともと共謀罪や参加罪の概念を持っていなかった国が、それらを導入せずに、組織犯罪集団に対して有効な措置を講ずることも条約上認められるとしています。

と述べている。

外務省は10年以上前からまったく反対の見解で一貫しており、国連の担当事務局に口頭で確認をおこない、

http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji_keiji35-1.html
なお、この点に関連して、「国連の担当事務局が作成している『立法ガイド』によれば、共謀罪と参加罪のいずれも設けないことが許されるのではないか。」との指摘がありますが、「立法ガイド」の記載は、共謀罪又は参加罪の少なくとも一方を犯罪とすることを明確に義務付けている条約第5条の規定を前提として、共謀罪を選択した国は参加罪を設ける必要はなく、参加罪を選択した国は共謀罪を設ける必要はないことを述べたものに過ぎず(「立法ガイド」を作成した国連の担当事務局も、我が国の照会に対し、このような理解が正しい旨回答している。)、この指摘は当たらないと考えています。

とこれまた明言している。

なお、アーカイブであるが、平成18年にも外部省は同じことを言っている。
http://archive.fo/lb8Qr

外務省と、反対派の日弁連&学者、どちらの訳が間違っているのであろうか。

私は、この日弁連や反対派学者の主張根拠たるこの訳解こそが、立法ガイドの大誤訳、であろうと考えている。

しかし、この大誤訳は、今回の共謀罪反対運動でも大々的に展開されていて、多くの弁護士や学者に広まっている。

2006年の日弁連意見書の見解に基づいて、弁護士や学者の多くが、この立法ガイド51項を理由にして、共謀罪の制定は不要であるという意見を表明されている。

衆議院法務委員会で2017年4月25日に京都大学の高山佳奈子教授が参考人意見を述べた際にも、立法ガイド51項を根拠に挙げて、共謀罪・参加罪どちらも導入しなくても国連犯罪防止条約の批准は可能であるという発言をされている。

しかし、国連犯罪防止条約の本文である5条が、共謀罪・参加罪のどちらかを導入するように義務付けていることは明らかである。

立法ガイド51項に、条約本文に反した、逸脱するようなことを認めているというのであろうか。

普通に考えれば、外務省の英文解釈が正しいと思われる。

日弁連の立法ガイドの訳解は、5条の明文に反した内容であることは明らかである。

それでも尚、立法ガイド51項にそう記されているから、共謀罪・参加罪のどちらも制定しなくてよいのだと、日弁連や反対派学者は主張するのである。

そこで、立法ガイド51項の英文の解釈を、ここで検討してみたい。

https://www.unodc.org/pdf/crime/legislative_guides/Legislative%20guides_Full%20version.pdf
22Pに該当箇所がある。pdfでいえば43ページ目である。

51. The Convention aims at meeting the need for a global response and at ensuring the effective criminalization of acts of participation in criminal groups. Article 5 of the Convention recognizes the two main approaches to such criminalization that are cited above as equivalent. The two alternative options of article 5, paragraph 1 (a) (i) and paragraph 1 (a) (ii) were thus created to reflect the fact that some countries have conspiracy laws, while others have criminal association (association de malfaiteurs) laws. The options allow for effective action against organized criminal groups, without requiring the introduction of either notion –conspiracy or criminal association –in States that do not have the relevant legal concept. Article 5 also covers persons who assist and facilitate serious offences committed by an organized criminal group in other ways.

立法ガイド51項は、5つの文章からなる。

問題は、第4文である。

The options allow for effective action against organized criminal groups, without requiring the introduction of either notion–conspiracy or criminal association–in States that do not have the relevant legal concept.

この文章を、日弁連や反対派学者は、「共謀罪も結社罪(参加罪)もどちらも導入しなくてもほかに効果的な措置を執っていればよいのだ」と訳解する。

外務省は、上記のとおり、共謀罪・参加罪のどちらかは義務だと訳解する。

私は、英文をぱっと読んで、外務省の解釈しか、とれなかった。

そこで、「どちらも不要説」の論拠をよくよく調べてみたところ、「without~either~or」構文だから「どちらも不要」だと言っているものがある。

「not~either~or」は、「どちらも何々でない」の両否定の意味のイディオムだから、「without~either~or」も両否定だ、だから共謀罪・参加罪どちらも導入する必要は無いのだ、というのである。

しかし実際の英文を見れば、「without~either~or」構文(イディオム)の一部だと日弁連がいう「or」は、二つの「-」に挟まれている。

もう一度よく英文をみてもらいたい。

エムダッシュが二つ入っている。

この横線は、長いハイフンのようであるが、エムダッシュ(em dash)という英語の記号である。

なお上記の引用の際には、文字化けしていたので、タイピングの流儀としてハイフン2つで書きなおしているが、原文をみればエムダッシュである。

以下のURLの方がエムダッシュであることがよくわかるかもしれない。

https://www.unodc.org/unodc/en/treaties/CTOC/legislative-guide.html

https://www.unodc.org/pdf/crime/legislative_guides/02%20Legislative%20guide_TOC%20Convention.pdf

エムダッシュは、カンマ、カッコ、コロンの代用として使われる。この場合は、どうみても、カッコである。なぜなら、

either notion

conspiracy or criminal association

だからである。

「いずれかの概念」の説明が「共謀(罪)か結社(罪)」であり、だからエムダッシュで囲われていることが明らかである

このエムダッシュの用法のネイティブの解説を検索してみた。

検索したところ最上位にヒットした、以下のサイトを見てみよう。

em dash
http://www.thepunctuationguide.com/em-dash.html

Depending on the context, the em dash can take the place of commas,
parentheses, or colons
(私訳)
「文脈によって、エムダッシュは、コンマ、カッコ、コロンに代用することができる。」

というものである。立法ガイド51項のエムダッシュがコンマやコロンの代用でないことは明らかであるから、カッコである。

さて、それでは、カッコ(Parentheses)の解説も同じサイトで見てみよう。

Parentheses
http://www.thepunctuationguide.com/parentheses.html

Whatever the material inside the parentheses, it must not be grammatically integral to the surrounding sentence. If it is, the sentence must be recast. This is an easy mistake to avoid.
(私訳)
「カッコの中がなんであれ、カッコの外の周囲の文章に文法的に統合してしまってはいけない。もし統合してしまったら、文章は作り直す必要がある。これは犯しやすい過ちで避けるべきものである。」

こうやってみれば、2つのエムダッシュ(=カッコの代用)に挟まれた「or」を、その外の「either」や、「without」に文法的に(gramatically)統合して(integral)書くのは、よく起こるイージーミスであり、絶対にやってはいけないこととなっているわけである。

となると、この第4文は、「without~either~or」構文ではないことが明らかである。

単に「without~either notion」であって、「いずれかの概念を導入していなくても」という意味、つまり、構文としては単なる「without」構文である。

なお、この私の分析に対して、想定される反論としては、

either notion

conspiracy or criminal association

だから、カッコ内をカッコ外に置き換えれば

without~either notion

without requiring the introduction of conspiracy or criminal
association
(without ~or 構文)

つまり、「without ~ or」構文だから、やはり、共謀罪・参加罪どちらも制定不要だという反論があり得るように思われる。

しかしそうすると、カッコの外の文章だけを読んだとき(without either notion)の場合と、カッコの内側の文章を外出しして置き換えた場合の(without conspiracy or criminal association)文意が、まるきり逆転してしまう。

つまり、この英文は、カッコ内をそのまま本文に置き換えてつなげてしまうと、カッコ内のorによって別の構文に変わってしまって文意がまるっきり変わってしまう、という英文なのである。

そんな訳が両立することはありえないわけで、カッコの内側の文章を外出しして置き換えて構文を別物に読み替えてしまうような訳が、誤訳なのである。

さらにくどくなるが、without~either構文も、文脈によっては、両否定と読めることも、一方を否定すると読めることもあるという指摘がありうる。

しかし、法律英語では、どちらにも読めるような紛らわしい表現は禁忌である。

そもそも、構文としては、

without requiring the introduction

である。

withoutが直接リンクする構造は「『導入を要求すること』なく」という構造で、あくまで「導入を要求すること」を否定しているのである。

withoutと、 of either notion とは、requireとintroductionを挟んでおり、修飾・被修飾関係では、ネストで二重に囲われている、2重に間接的な修飾関係にしかたっていないため、その離れたwithoutとeitherが一体でイディオムを構成するという読み方は不自然でかなり無理がある。

また、法律英語の世界では「either」(2つのうちいずれか)「either or both」(いずれかまたは両方)「both」(両方)はかなり厳格に使い分けがされている。

どちらも採りうるような表現を使えば、混同されると意味が逆転してトラブルになるからである。

もし、日弁連が主張するような「共謀罪・参加罪どちらかまたは両方を導入しなくても(許される)」(第3文でいう二者択一でなくどちらも導入しないという第3の選択肢を認める)と言う意味で英語を書くのであれば、

without requiring the introduction of either or both notions

という表現になるであろう。

あるいは、

with requiring the introduction of neither notion

になると思われる。

法律家の感覚としては、立法ガイドの読者(=各国の立法担当者)が、条約5条本文をみた上で、立法ガイド第3文までの文脈(二者択一を明言している)を読んで、第4文で either or both と書かれていない時点で、without ~ either を「両否定の意味にもどちらにもとれる」とか「両否定である」とは、およそ読まないはずである。

ちなみに、条約5条本文は、

Either or both of the following as criminal offences distinct from those involving the attempt or completion of the criminal activity

となっており、either or both すなわち、共謀罪か参加罪の「いずれかまたは両方」の犯罪化(未遂・既遂の罪とは別に)をおこなうことを義務付けている。

本文の書き方が明確なのである。

そのうえで、日弁連のような読み方ができるわけがない。

これは、論理学に裏付けられた、法律家としての文章の読み書き作法の問題である。

そもそも第3文で選択肢(option)は2つ(共謀罪・参加罪)であり、その2つがalternative(代替可能、択一的)と書かれていて、第4文は、第3文の言い換え、補足として、二者択一だから2つのうちのどちらか一方(either)は導入しなくても許容されますよ、と述べているだけなのである。

それを日弁連や反対派学者が言うように、どちらも導入しないでよい、となれば、それは第3の選択肢を認めるということであって、第3文の2つの選択肢という説明とまるっきり論理的に矛盾してしまっているのである。

第3の選択肢を認めるというのなら、第4文冒頭は、

The options allow for effective action

でなく、

The options allow for other effective action(s) than the options

と書くのが、通常であろう。

このように、これを両否定文と読むことが、英語としての文脈を読めていないことは、明らかである。

なお、第4文の「either notion」は明らかに単数形の可算名詞であるが、冒頭の日弁連意見書は、「これらの概念を強制することなく」と、「これら」と複数形で訳している。

どうやったら単数形を複数形に訳せるのか、理解に苦しむ。

「いずれか(一方)の概念を強制することなく」としか訳せないのを「これら」と複数形で訳しているのである。

反対派学者162名の声明でも、「もともと共謀罪や参加罪の概念を持っていなかった国が、それらを導入せずに」と、「それら」と複数形で訳している。

学問的正確性を重んじるはずの学者が162名も集まってなぜ立法ガイド51項を「それら」と複数形で書くのであろうか。

両否定であると学者たちが考えているのであれば「いずれも導入せずに」と表記するのが、法学者が集まって議論すれば普通にそうなるはずの、法学者としての論理的・学問的正確性というものであろう。

よくみれば、162名の刑事法研究者のなかには、何名かは、大学教授でなく弁護士が混じっている。

この刑事法研究者の声明の起案者が弁護士で、日弁連2006年意見書の「これら」を「それら」とちょっと表現を変えただけだから複数形で平仄が揃っている、ということだとすれば、説明はつく。

いずれにしても、このような文章読みをなんの疑問にも思わず喧伝するというのは、残念と言わざるを得ない。

結局のところ、日弁連の大誤訳が、ほとんどの弁護士の認識をミスリードし、マスコミをミスリードし、学界にすら少なからずミスリードを招いている、といってよいと思われる。

なんとなくであるが、共謀罪反対を唱える弁護士の誰かが、エムダッシュの使い方を見落として、この第4文は「without~either(~or)」構文だ、と言い始めたのが、この大誤訳の始まりなのでは無いかと思われる。

そうしたら、尻馬に乗って、周りの弁護士がそう言いだした。

そう言われて読んだら、そう読めなくもない、という人も出始めてしまった。

翻訳家にも見せたら、そう言われて読んだらそう読めるね、という人までも出て来てしまった。

法律家や日弁連までそういうのだからと、原文を吟味せず受け売りで主張する人も出て来た。

その話が拡散して、今のように学者の間にまで拡がり、このような誤訳に基づいた声明に、名前を並べる学者が162名も出るという事態になってしまったのではないだろうか。

外務省も、上記に引用したアーカイブで(下記で再度URLを掲載しておく)、実際に10年前にも国連の立法担当事務局に問い合わせて、立法ガイドの解釈は外務省の見解が正しいという回答を得ている。

http://archive.fo/lb8Qr

また、念のため、「立法ガイド」を作成した国際連合薬物犯罪事務所(UNODC)に対してご指摘のパラグラフの趣旨につき確認したところ、UNODCから、同パラグラフは共謀罪及び参加罪の双方とも必要でないことを意味するものではないとの回答を得ています。

というものである。

というのに、それすらまるで聞く耳を持たないで、立法ガイド51条の手前味噌な誤訳に基づいた解釈を、共謀罪不要論の根拠として反対の理由に掲げ続けているのが、日弁連と、その受け売りの反対派学者の声明書である。

考えてみれば、外務省仮訳を誤訳と言い張るのは、日弁連や、共謀罪反対ありきで結論が決まっているような一部の弁護士の論考である。

学界において、立法ガイドの訳について両説を検討したうえで外務省訳が誤訳であると断じたような論文というのはほぼ見当たらない。

仮に学者が少し調べれば、国連の立法担当官の見解を外務省が確認したと言っていることはすぐにわかるので、筆が止まってしまって、それ以上外務省訳が誤訳であるなどと論難するような論文が書けるはずはないからである。

しかし、そんな学者も、以前からの議論をよく知らないまま、受け売りで声明書に名前を連ねるだけならできてしまう、ということであろう。

そして、どうやら、日弁連は、この10年間、一度も、国連の担当事務局に正式な文書で立法ガイドの解釈を問い合わせることもしてこなかったようである。

日弁連が仮に立法ガイド51項について問い合わせたら、外務省訳と同じ答えが返ってくることがわかっているから、問い合わせていないのだろうと思われる。

野党までが、この日弁連の誤訳を振りかざして、共謀罪・参加罪どちらも導入しなくてもよいという根拠にして、10年前も猛反対を繰り広げた。

外務省が国連事務局に問い合わせた内容が間違っているというなら、議員や政党として書面で照会すればよかったはずだが、この10年間、問い合わせもしてこないで、十年一日のごとく日弁連の誤訳の受け売りを続けていることも、ミスリードを拡大していると思われるところである。

この度の十年一日のごとき共謀罪反対論は、まずもって、日弁連や反対派学者の英文解釈のレベルの問題として再考しておくべき問題のように思われる。

あるいは誤訳の受け売りの連鎖というべきか。

残念ながら、外務省の方が英文解釈のレベルは高かったというべきか。

外務省はそもそも英語が本職の実務家集団で、ネイティブがあふれかえっていて、条約英語は最たるエキスパートなのであるから、当然といえば当然ではあるけれども。

外務省からすれば、条約英語を「当たり前」に読んでいるだけだから、それ以上にくどくどしく説明もしないわけである。

そこを、「誤訳」も100回言えば「正訳」になるとでも思っているかようなミスリードに、ほとんどの弁護士も、マスコミも、学者も、国会すらも翻弄されている、という構図が見えてくる。

日弁連会員の一人として、日弁連意見書の価値も地に堕ちてしまったという残念な思いを感じざるをえないところである。

 

(追記)

平成29年5月16日の衆議院法務委員会

2:40:00ころ

日本維新の会の松浪健太議員の質問で、同議員は

「我々から外務省にヒアリングしたところ、立法ガイド51項についての国連からの(共謀罪・参加罪どちらか導入が必要という解釈についての)回答をこれまでどうやって確認していたのかと聞いたところ、口頭だ、といわれたので、外務省から国連に書面で口上書をもらうことになり、この(法務)委員会の中盤で、国連の口上書の仮訳ができあがってきた。それによれば、第3のオプション(共謀罪・参加罪どちらも導入しない選択肢)はばっさりと切られている」

旨、述べられている。

つまり、書面による国連からの正式回答として、日弁連の2006年意見書、2012年意見書のように、立法ガイド51項を、「共謀罪・参加罪どちらも導入しないでよい。第3のオプションが採れる」と和訳するのは、間違い、だということで決着がついたようである。

ただし、この国連事務局からの口上書(回答)の仮訳については、まだマスコミは報道をしていないようである。

国際組織犯罪条約が、参加罪を導入しない限り、長期4年以上の犯罪について共謀罪を導入することを義務付けている、という結論は、もはや動かない。

それが世界標準の刑法の理論と実務の状況なのだ、という認識からスタートしなければ、すべての反対論はただのミスリードに過ぎないと思われる。

本来の争点は、長期4年以上の罪であっても、過失犯類型は除外できるから除外するであるとか、立法事実がないような(国内外の組織犯罪集団が遂行することはないと思われるような)犯罪類型を除外することができるなら除外するといった議論を尽くすべきなのであるが、残念ながら、それ以前の空虚な論争に費やされている。

残念ながら、ここまでの論戦は、大半が日弁連発のミスリードに時間を空費してきたというのが実際のところのように思われる。

実は、欧州はじめ世界の大半といっていい国で導入されている参加罪(犯罪的結社への参加)は、犯罪組織への参加の段階で犯罪が成立する。

一方で日本のテロ準備罪(共謀罪)は、諸外国の共謀罪と比べると極めて成立範囲が狭く、「組織的犯罪集団の組織の活動として、実行するための組織により行われる」「犯罪を計画し」「その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われ」なければ犯罪は成立しない。

つまり、事実上、犯罪組織の活動に加わりかつ共謀しかつ準備行為に至ることが必要となっており、諸外国に比べて著しく限定的・抑制的な場合にしか共謀罪が成立しないものとなっている。

比較法的にいえば、今回のテロ準備罪が成立しても、日本は、世界的にも珍しいくらい、組織的犯罪集団への処罰に抑制的な、犯罪者に甘い国、という評価になるだろう。

国際組織犯罪防止条約の要請を満たし、相互主義的にどちらの国ででも処罰可能として、情報交換体制と、犯罪人引渡協定の整備を進め、海外で犯罪を遂行した組織的犯罪集団が日本国内でマネーロンダリングする犯罪収益を没収して、海外に引き渡し、被害回復に役立ててもらうのは、日本の国際的責任である。

その相互主義による見返りとして、はじめて、海外で没収された日本の組織的犯罪集団の犯罪収益が日本に返還され、被害回復に役立つのである。

適用罰条を外国と同レベルに整備して、犯罪人を日本に引き渡してもらうばかりでなく日本も犯罪人を外国に引き渡す。それが相互主義である。

犯罪収益を日本に返還してもらうばかりではなく、日本からも返還してあげなければならないという姿勢が、相互主義である。

反対論こそ正義であるかのように声高に主張する論者には、外国の目から日本をみた相互主義の視点が全く感じられない。

ガラパゴス、というを超えて、エゴイスティックに感じるのは私だけであろうか。

テロ準備罪の適用罰条をひたすら少なくするのが人権擁護にとって絶対善であるなどという、間違った先入観に基づいた立論を、多くの弁護士やマスコミ、学者が当然のように語ることに、違和感を禁じ得ないところである。

英語力が低すぎるから井の中の蛙でミスリードに引っかかってしまう、そしてガラパゴス、果てはエゴイスティックというのは、いかがなものであろうか。

携帯電話のブラック情報(2)端末料金の不払

2月 26th, 2017

携帯電話の通信料金の不払いと、端末代金の不払いは、実は、信用情報の登録先が異なるということを、知っている人は意外と少ない。

携帯電話利用料金はTCA、端末の分割料金はクレジットカード等の情報の信用機関であるCICなどである。

つまり、端末代金を分割にしただけで、不払いの場合、信用情報のブラックの登録が2か所にされてしまう、ということである。

ドコモ・au・ソフトバンクは、携帯電話契約を2年縛りにして、2年ごとの更新月を外しただけで中途解約扱いとして、1万円といった高額な違約金を設定し、携帯電話端末料金を9万円とか6万円といった異常な割高な金額に設定し、それを24回に分けて返済する割賦払い契約をユーザーと結び、一方で、月2000円ほどの額を月々割り引くので結局機種代金は無料あるいは格安ですよ、とセールスする、といった、面倒くさい販売手法を取る。

これは、ユーザーを2年間解約させないで高額な月額料金に縛り付けておくための、3大キャリアの側の都合で考案された、ユーザーに不利益な、ある意味あこぎな販売手法である。

しかし、ユーザーは、そのために、割賦販売契約を結ばされることになる。この場合、ユーザーの割賦販売債務がクレジット情報として、延滞もしていないのに、信用情報機関(CICなど)に個人情報が登録されてしまうことになる。

ちなみに、機種代金を一括で支払えば、割賦販売契約ではないから、CICには登録されない。

でもそんなことを知っている人はほとんどいないだろうし、一括払い契約を選択する人はもっと少ないはずである。。

やっかいなのは、通話料金を3か月以上延滞してしまうと、割賦販売代金までもが道連れで61日以上の延滞となってしまい、CICでの信用情報も、いわゆる事故状態(ブラック状態)となってしまうということである。

クレジットカードの支払いを61日以上延滞すれば、言い訳もしようがないけれども、携帯電話料金について、まさか同じ扱いがされると思っていなかった、という人はそれなりに多い。

3大キャリアのスマホを漫然と買って、携帯電話料金だけが遅れたつもりだったのに、携帯電話端末の割賦販売代金が遅れたことにされてしまい、ほかのクレジットカードなどの利用までドミノ式に次々と制限されたり、解除されてしまうことが起きてしまうのである。

CICの事故情報は、契約中および契約終了から5年間、保有される。

http://www.cic.co.jp/confidence/posession.html#sst02
http://www.cic.co.jp/qa/registration.html

携帯電話料金を支払わなかった延滞期間が61日に達しただけで、最低5年もの間、信用棄損状態が回復しない(不払いの事実を消す手段もない)というのは、相当なダメージである。

ユーザーは、本来、携帯電話利用契約を結んでいるだけのつもりであって、クレジットカードまで影響するようなリスクを自分が冒している、とは全く想定してはいない。

こうやってみるドコモ・au・ソフトバンクでスマホを割賦販売契約で買うことは、実は想像する以上にリスキーなことである。

それが、携帯電話会社がほとんどユーザーを縛るという自分の都合で、ユーザーを誘導して高額のスマホ利用契約に伴って割賦販売契約をさせているわけであるから、なんとも罪深いことである。

格安SIM会社(MVNO)で携帯電話を買えば、端末料金は普通は一括払いであり、1万円から3万円までで十分な機種が買える。

MVNOでも、好き好んで端末料金を分割払いにするユーザーもいるであろうが、安い料金を分割にしてCIC登録されてしまい一歩間違えれば信用情報が事故扱いというリスクを考えれば、分割払いはとてもお勧めできるものではないだろう。

ドコモ・au・ソフトバンクの販売手法は、ユーザーを自社に縛り付けるのに懸命である。

そのためにユーザーに割賦販売契約を結ばせ、CICに登録させ、不払いによるドミノ式の信用リスクのことをよくわかっていないユーザーがリスクにさらされてしまっている。

消費者目線でいえば実にけしからんやり方だ、というべきだろう。

私は、多重債務者の経済的更生のために、スマホをドコモ・au・ソフトバンクからMVNOに乗り換えさせるという指導はよくおこなっている。

しかし、この2年縛りの端末代金5万円とか9万円といった違約金が、解約時に一気に発生してしまい、しかもそれが信用情報のブラック化という事態を招いてしまう、という仕組みは、ユーザーにとって重大な不利益であり、苦しい立場にある方の経済的更生にとってまことに不愉快な障害になってしまっているのである。

賢い消費者は、できるだけ3大キャリアのスマホ契約は避けて、格安SIM(MVNO)を選ぶべきだろう。

通話かけ放題を使わなければいけない人は、スマホとは別に、ガラケーの中古端末を、ドコモ・au・ソフトバンク・ワイモバイルに持ち込んで通話のみの端末として開通して、かけ放題契約をすればよい。

ワイモバイルのPHSなら月1500円、それ以外のガラケーは月2200円から持てる。

持ち込み新規契約であれば、かけ放題については2年縛りにはなっても、割賦販売契約を結ぶことがないので、CICに登録もされないのである。

なお、携帯電話会社に全く支払わないまま5年以上滞納した、催告書も最近は送られてきていない、裁判も支払督促もされていない、債務承認書も書いていない、電話でも払うと言っていない、という場合は、消滅時効を主張することができる場合がある。

滞納者が、消滅時効を主張して、携帯電話会社がそれを受け入れれば、通信料金も端末代金も時効消滅することになる。

TCAやCICの登録内容の変更も請求できるだろう。

なお、それでも、不払いにした通信会社の内部情報としては保有される可能性があるので、同じ電話会社で契約するのはそれ以降もNGというのは起こりうる。

但し、消滅時効の起算点には注意すべきである。

消滅時効の起算点は、端末割賦販売代金の場合は催告による割賦販売契約解除成立の日、通信料金の場合は最終月料金の支払予定日より遡ることは無く、その後の携帯電話会社による催告や、一部弁済や債務承認によっても、中断することがある。

つまり、不払いにしはじめてから5年ちょうどでは時効消滅するわけではない、ということに注意が必要である。

携帯電話のブラック情報(1)電話料金の不払

2月 25th, 2017

多重債務者が、自己破産手続きをとったときに、携帯電話料金の滞納があって、携帯電話利用契約を解除されてしまうことがある。

とはいえ、毎月発生する携帯電話料金については、破産裁判所は、大幅な滞納がなければ、固定電話料金と同じように、そのまま毎月支払い続けることについて、ある程度は黙認し、特に問題視することはないというのが一般的である。

しかし、ドコモ、au、ソフトバンクのスマホの月額料金は高額なので、滞納してしまっているとたちまち5万円以上になってしまうことがある。

こういう状態で自己破産を決断して、各債権者に受任通知を送れば、それ以降の支払いについては、偏波弁済だ、として、問題視されるという可能性は否定できないので、弁護士としては、破産法の建前からすると、非常に気持ちが悪く、依頼者に対して「大丈夫ですよ」といえなくなり、その結果、多重債務者も不安を感じる、という事態が起きてしまう。

多重債務の解決にあたっては、まずは生活の再建を優先し、例えばこれまでの滞納した携帯電話契約は解除されるにまかせて、破産手続、債務整理、小規模民事再生などの手続に進み、新しい電話番号にして、債権者からの連絡を避けることも兼ねて、携帯電話利用契約を新規で別の電話会社でやり直してもらうことがある。

気を付けないといけないのは、携帯電話料金の滞納が個人にあると、その滞納情報(不払い情報)は、ドコモ・au・ソフトバンクの3社と一部のMVNOでは、情報交換されて共有されていて、情報を交換している電話会社に新規契約を申し込むと断られてしまう、という事実である。

正確にいうと、電気通信事業者協会(TCA)に加盟していて、かつ、不払い情報の交換を実施していると発表している、下記(末尾に記載)の通信会社である。

http://www.tca.or.jp/mobile/nonpayment.html

但し、破産手続をとっても、免責決定がされていれば、不払い情報は抹消される。

免責と同時に通信会社側で自動的にすぐにTCAに抹消申請してくれるとは限らないため、不払いにした携帯電話会社に免責されたことを債務者から連絡して、抹消請求をすれば、TCAに連絡してもらえるので、不払い情報は抹消される。

債務整理などの場合は、滞納料金を完済すればTCAの不払い情報は抹消される。

民事再生手続については、電気通信事業者協会のサイトには書かれていないが、カットされた残債権を完済すれば、抹消は可能なはずである。

すなわち、小規模(給与)民事再生の計画案提出および認可の際、携帯電話料金について少額一括返済を選択しておけば、少額一括返済後の時点で抹消、または計画弁済の完済時点で、不払い情報の抹消を、携帯電話会社に請求すればよい。

とはいえ、破産の委任を弁護士にして、破産申し立てをして、破産開始決定、免責決定までたどり着くには、数か月かかる。

このタイムラグの間に携帯電話会社を乗り換えないといけないときには、通信料金不払いのブラック情報により、再契約ができなくなる、免責まで待たなければいけない、という事態が起きうることに注意が必要である。

なお、家族には影響はないので、家族契約で持つことは可能である。

救いもある。

MVNOには、意外とTCAで不払い情報を交換していないところが結構あるのである。

現時点で、OCNモバイルONEもそうである。

OCNモバイルONEは、クレジットカード決済でなくても、銀行引き落としでも契約ができる。
https://mypage.ocn.ne.jp/ksupport/bill/payment_demand/

一方、多くのMVNOは、クレジットカード必須である。

となると、自己破産をしたり債務整理によってクレジットカードを当面持てない人には、OCNモバイルONEは、いざというときの駆け込み寺になるだろう。

OCNモバイルONEは、初期料金は無料に近く、初月無料、月2000円以下で電話番号付きスマホが持てて、端末も1万円前後から買えるからである。

 

(不払い情報を交換している通信会社)

電気通信事業者協会
不払者情報の交換
http://www.tca.or.jp/mobile/nonpayment.html
2.対象となるお客様
平成11年4月1日以降に契約解除となり料金不払いのあるお客様※1を対象といたします(料金が完済された場合は対象外となります※2)。
また、お客様の氏名及び住所等の情報を、契約解除となり料金不払いがある場合に他の携帯電話等の移動系通信事業者に通知することについては、契約約款の規定に基づいてお客様にご同意いただきます(既にご契約済みのお客様についても同様といたします)。
※1 自己破産等により免責が決定している方、係争中(料金不払いのあった事業者と料金不払いに関して訴訟が行われており、判決が確定するまでの間を言います。)の方は含まれません。なお、いずれの場合も、料金不払いのあった事業者でその事実が確認できる必要があります。
※2 料金を完済された事実が、時間的な制約から、情報交換を行っている他の事業者に伝わっていない場合があります。疑義のある方は、お手数ですがお申し込みの事業者にご申告ください。ご申告に基づき、お申し込みの事業者より完済された事業者に確認させていただきます。
3.交換の期間
契約解除後5年以内といたします(期間経過後は自動的に抹消されます)。
7.情報交換をする事業者
NTTドコモ
KDDI、沖縄セルラー電話
ソフトバンク
ウォルト・ディズニー・ジャパン
UQコミュニケーションズ
ウィルコム沖縄
サジェスタム
ラネット
ヤマダ電機
ノジマ
日本通信
汐留モバイル
ケイ・オプティコム
東日本旅客鉄道
ニフティ
フリービット
トーンモバイル
プラスワン・マーケティング
UQモバイル沖縄
ビッグローブ
TOKAIコミュニケーションズ
アクセル
SORAシム
Link Life
ドリーム・トレイン・インターネット
MEモバイル
メディエイター
ジェイコム
ジュピターテレコム

OCNモバイルONEへ乗り換え

2月 18th, 2017

格安スマホとしてこれまで約2年半、BIGLOBE SIM(イオンのスマホ)を使ってきた。

BIGLOBE SIMは、1か月1400円+消費税で、1GBの高速通信ができた。

低速(0.2MBPS=200Kbps)になった場合でも、それ以上の超低速制限はかからない良質なSIMである。

私の持っていた旧型の遅いスマホでも、1分で1MB程度のダウンロード速度が確保できていた。

IIJ系のSIMは、低速になってから3日で366MB使うと超低速になり、使い物にならなくなる。

それにくらべればBIGLOBE SIMは、良質で良心的である。

ドコモ・au・ソフトバンク・ワイモバイルは、7Gといった容量を超過するとなんと格安スマホ以下の128Kbpsに低下し、ソフトバンクなどは目も当てられない遅さになる。

それにくらべれば低速時の使い勝手の良いBIGLOBE SIMには、まずまず満足していたのだが、この度、OCNモバイルONEに乗り換えることにした。

OCNモバイルONEは、月3Gで1800円である。単純に400円上がる。

それでも乗り換えた理由はいくつかある。

まず、低速時のバースト転送の秀逸さである。

BIGLOBE SIMには、バースト転送が備わっていない。

BIGLOBE SIMを実際に使っていると、バースト転送らしき動きは垣間見える。

Webページを開いた時のデータ転送の初速が多少早く感じるのである。

とはいえ、公開されている仕様上ではBIGLOBE SIMにバースト転送機能は掲載されていないので、公式には無い(裏で動作はしていても動作保証はない)、ということである。

IIJ系のSIMには、バースト転送があるSIMが多い。

しかし、IIJ系のSIMのバースト転送のサイズは75Kbyteである。

一方、OCNモバイルONEのバースト転送サイズは、150Kbyteである。

150Kbyte=1200Kbitであるから、200Kbpsの低速モードでいえば、約6秒分を一瞬にしてダウンロードしてくれることになる。

一方でIIJ系のバースト転送は3秒分である。

ニュースサイトのページを、低速時にクリックして、開くのに、3秒はかかっても、6秒かからないことが多い。

このサイトをめくるたび3秒の違いは非常に大きい。

実際にニュースサイトをOCNモバイルONEで低速モード(ターボOFFモード)開けば、ほぼ一瞬で文字をダウンロードしてしまうことがわかる。

画像はあとから多少遅れて開くサイトも多いが、なにぶんニュースサイトはページを細かくめくることが多いので、体感速度はずいぶん変わる。

YouTubeでも、画面解像度を低画質モードにしてあれば、OCNモバイルONEの低速モード 200kbpsでも、ほぼ音楽が切れることなく視聴できる。

これも、youtubeの視聴し始めた際のバースト転送による貯金がゆとりとなって、音途切れを防いでいるようである。

OCNモバイルONEに乗り換えて、ターボOFFモードで1週間ほど使ってみたが、BIGLOBE SIMの低速モードよりはるかに体感速度が速く、乗り換えた値打ちがあった。

LINEなどのSNSであれば、そもそもBIGLOBE SIMの低速モードでも使用に支障はないが、OCNモバイルONEでは速度は明らかに向上する。

もうひとつ、BIGLOBE SIMは低速・高速の切り替えができない。

だから、月の初めから強制的に高速容量を使っていく。

OCNモバイルONEは、低速・高速の切り替えが、アプリを立ち上げて、ワンタッチでできる。

例えば、スマホにPCをテザリングでつないで、PC上でメールをダウンロードするときや動画を見る時など、通信を高速にしたいときだけ、高速に切り替える。

普段は、ターボOFFにしておいて低速でも、SNSやWebサイト閲覧はたいてい事足りる。

LINEやgmailで少々大容量のファイルが送られてきたところで、高速容量を食わない。気づきもしない間にゆっくりダウンロードしておいてくれている。

OCNモバイルONEは、Wifiのアクセスポイントも、非常に多い。

SECURED Wi-Fi エリアと、DoSPOTエリアでWifiが可能で、約9万か所、これが使えて、月1800円の中に含まれている。

BIGLOBE SIMのWifiスポット数はOCNモバイルONEに劣らず秀逸であるが、Wifiは月250円のオプションである。

1400円+250円=1650円となると、OCNモバイルONEの3ギガ契約とは150円差。もはや、使い勝手では、この時点でコストパフォーマンスは逆転している。

OCNでんわは、通常の携帯電話音質で、半額の30秒10円で掛けられる。

OCNでんわは、10分かけ放題で月850円のプランを提供していて、他社の5分かけ放題プランが同金額帯であることをみると、あきらかに優位に立っている。

OCNモバイルONEにはもうひとつ、IP電話(050Plus)1回線が標準で付属する。

050Plusは、月額300円+消費税の基本料金がかかる。それが1800円に含まれる。

IP電話で、月額基本料金が無料のものはいくつもあるが、実は固定電話にかけても携帯電話に掛けるのと同じに30秒8円かかったりする。

しかし、050Plusは、なんと、固定電話への料金が3分8円である。

これは、海外旅行に行った時に、ありがたみがわかってくる。

SIMフリーのスマホを持っていれば、海外に行った時は、SIMを差し替えて、外国の現地のSIMを挿し替えて使うことができる。

デュアルSIM対応のスマホの中でも、gooのg07などは、現地SIMと日本のSIMを両方挿して両方着信待ちが可能である。

日本からかかってきた電話はローミングで着信まではできるが、出ないようにして、折り返しは、現地SIMの電波を使って(またはWifi環境下で)、050Plusでかければ、日本向けの通話が3分8円、日本の携帯電話にかけなおしても1分16円である。

IP電話はどうしても多少の遅延はあるのだが、高速な電波やWifiのもとでだと結構話せる。

もっとも、LINEの無料通話やコールクレジットのほうが、050PlusといったIP電話よりも、はるかに遅延がすくなく、快適に話せるので、実はLINEのコールクレジットをよほどお勧めする。(LINEのコールクレジットだと相手がドコモの携帯電話だと非通知着信になってしまうが)。

LINEの無料電話は音が痩せていて、圧縮率が高いと思われるが、その分、遅延が少なく海外では実に快適なのである。

さらに奥の手を使えば、海外旅行中は、日本から出発する直前に携帯電話の転送先を050Plusの番号に転送設定することがおすすめである。そうすれば、携帯電話のバカ高い海外ローミング転送料金はかからず、国内転送料金だけがかかることになる。

着信に出て、おり返せばよい。これで海外ローミングの日額何千円の基本料金も海外転送料金も全くかからない。

折り返しはLINEのコールクレジットで掛ける。

相手によっては、こちらが非通知だと電話に出てくれない場合がある。

そのときは、現地SIMから、gmailやSMSで相手の携帯電話に、「海外だから非通知で掛ける」とか、「IP電話から掛ける」、とメールで送っておき、それから電話を掛けたら出てくれるであろう。

ちなみに、国内にいるときでも、050Plusの番号同士の通話は無料で、OCNモバイルONEのシェアは大きい上に、家族で050Plus回線をそれぞれ持てば、家族間通話がそれでかけ放題となる。

OCNモバイルONEでは、高速通信時でも050Plusはカウントフリーで、いくら通話しても高速容量を食わない。

シェアSIMも強力である。1枚月400円で最大4枚まで追加できる。通話付きのシェアSIMでも1枚月額1100円である。

OCNモバイルONEは低速でもバースト転送容量が大きくて快適なので、3ギガの高速容量でも、低速にしている家族はその間まったく高速容量を食わないので、IIJ系のSIMやBIGLOBE SIMのように強制的に月の初めから高速容量から食い始めるSIMのシェアSIMと比べると、OCNで使える毎月の高速容量の実サイズははるかに大きいことになる。

とはいえBIGLOBE SIMのシェアSIMは1枚月200円で持つことができる。

これはOCNモバイルONEより明らかに安い。

しかし、シェアSIMも親SIMも、月の初めから高速容量から食っていくので、たちまち高速容量を消費してしまうのがデメリットとなる。

このように、丁寧に使い勝手を考えていくと、OCNモバイルONEは、実に良心的で良質であることがわかる。

なお、格安SIMの初期契約手数料は3000円くらいがほとんどであるが、OCNモバイルONEの通話SIMは、初期契約料金無料のパッケージがアマゾンなどで200円くらいで売られている。

MNPによる乗り換えもそれでできるので、それを買えばいいのである。

また、Goo simsellerという、NTTレゾナントが運営するスマートフォンの販売サイトがある。

しょっちゅうバーゲンセールやキャンペーンをやっていて、初級機から高級機まで、かなり安い価格帯で売られている。

キャンペーン時ともなると、端末で利益が出ているのかと思うくらい、端末料金が割安である。

Goo simsellerでスマホを買えば、OCNモバイルONEの通話SIMの初期契約料金無料のパッケージが無料で一緒に送られてくる。

別にOCNモバイルONEと契約してもしなくても、スマホ販売料金は変わらないが、これで通話SIMを契約すれば、初期契約料金3000円が0円となる。

ちなみに、今は、3ギガ→4ギガ、基本料金2か月間700円引きというキャンペーンをやっている。

こういった具合である。OCNモバイルONEの強力さが、多少なりとおわかりいただけただろうか。

MVNOの回線速度比較などでは、OCNモバイルONEはいつも遅い方から数えて何番目かである。

ということは、ひたすら早く動画を見たい、一瞬でサイトが開かないといらだつ、という人には、OCNモバイルONEは向かないSIMなのだろうと思う。

にもかかわらず、OCNモバイルONEは、MVNOのシェアはだいたいがトップか、最近こそ楽天モバイルに抜かれつつ、2位の位置にある。

これは、NTT系という安心感が理由としては大きいと思われるが、それを裏付ける、良心的な高品質SIMだから、店としても勧めやすくて、不満も出にくいことが理由なのだと思う。

OCNモバイルONEは、1日110MBプランが1600円で、3ギガプランより200円安い。これも秀逸である。シェアSIMにも対応している。

低速に切り替わっても快適に使用できるOCNモバイルONEだからこそできるプランで、格安SIMの他社が、長年にわたり全く追随できていない、良心的なプランである。

移行してみて、それをしみじみ感じた次第である。

「仁」という言葉の意味

1月 30th, 2017

今回は、論語の話をしてみたい。

論語を初めて読んだのは、中学1年生のときに、校長先生の授業で「論語物語」(下村湖人)を渡されたときだったから、かれこれ36年余り前ということになる。

授業であまり論語を採り上げたわけではないが、「論語物語」は、読んでハマりにハマった本であった。

夢中で読破し、続いて岩波文庫の「論語」訳注やら、孔子の思想の解説書など、何冊も買い込み、飽き足らずに図書館で借りては読んでいた。

以来、論語は折に触れては読み返す本ではあるのだが、文意にまったく納得できない部分がずっと残っていた。

「仁」という概念である。

論語を読む限り、仁について語られる箇所は50箇所を下らない。

孔子は、「仁」という概念を徳の最上位に置いていて、弟子たちも仁について問う問答が非常に多く、弟子たちも孔子の思想の根幹が仁であるとみなしていたことは間違いないのだが、その「仁」という概念が、私にはどうしてもすっきりと理解できなかったのである。

国語辞典や漢字辞典では、仁は「思いやり」「いつくしみ」が語意であるとされる。2人の人がいて、他人を思いやる心である、というものである。

ほとんどの論語の解説書にも訳本にも、そう書いてある。

あるいは論語の解説になると、「人を愛することだ」とも「克己」とも「仁愛」とも書かれている。

こういったあたりが仁の語義として学会の通説なのだろう。

しかし、論語を何回読み返しても、仁について語った箇所を「思いやり」と訳しても、意味がつながらない。

こう感じるのは私だけではないはずだ。

だからこそ、学者の解説でも、「仁」の意味は弟子たちにもわかりにくかった、とか、孔子の仁の思想は深遠だ、といった、奥歯に物が挟まったような、隔靴掻痒の解説になりがちである。

実際、後世の儒学者は、必ずしも仁という言葉に孔子ほど重きを置いて突き詰めることなく、別の語句で儒学の教えを構築していくのである。

しかし、仁の意味が「思いやり」なら「他人への思いやり」であって意味は単純で、わかりにくい概念、となるはずはない。

結局、論語を読んでも、訳や解説書に納得できず仁の意味に違和感が残ったままで、そこが孔子の教えというものに対する最大の消化不良点であった。

例にもれず、論語読みの論語知らず、というやつである。

それが最近、ふと、仁とはこういう意味ではないか、と自分なりに、「気づいた」ように思っている。

結論からいえば、孔子の言う「仁」とは、「(1)無私(無我)(2)志道(3)克己(4)利他(5)謙譲」の5つの心構えの複合体であるように思う。

5つの要素はどれも「仁」に不可欠であるが、意外なことに、文意としては、「無私(無我)」のウエイトが高いように考える。

また、「志道」、「克己」。これも、自分の心の内面に向いたものである。

「謙譲」も、外面的なものではなく、志道と克己の行きつく先に現れる態度である。

他人への思いやり、といった情愛的なものというより、「人を大切に思う気持ち」がにじみ出て「利他」として表出するさまをいうものであろう。

道を志し、己に克ち、他人のために尽くし、謙譲を忘れず、努め続け、その先に到達する究極は、無私・無我の境地となる。

この心構え、生き方の姿勢を、「仁」と孔子は表現していると、私は考える。

論語に沿って、例を挙げてみよう。

————————————

(1)「巧言令色鮮し仁」(學而篇第一、陽貨篇第十七)
・・・(直訳)「言葉を巧みにかざることは仁が乏しい。」
この仁を「思いやりが乏しい」とは訳せない。
一方で、「言葉を巧みに飾ることは無私の境地から遠い」という文意ならしっくりくる。

(2)「人にして不仁ならな礼をいかんせん。人にして不仁ならば楽を如何せん」(八しょう篇第三)
・・・(直訳)「不仁ならば、例も楽もどうにもならない」
この仁も「思いやりがなければ」とは訳せない。
心から相手に対し素晴らしいことをするという気持ちを込めて正しい言動に努め、無私の境地で音楽を奏でる。そういう思いで礼と楽を遂行せよという意味であろう。

(3)「不仁者は約におるべからず。もっと長く楽におるべからず。」(裡仁篇第四)
・・・(直訳)「不仁者は逆境に長く耐えられない。順境にも長くはいられない」
この不仁も「思いやりがない者」とは訳せない。
克己心のないもの、志道の心のないもの、利他の姿勢がなく我欲に囚われるもの、の意味であろう。

「ただ仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む」
「まことに仁に志せば、悪しきことなし」
これも、思いやりある者、というより、志道と克己の末無私の境地に達した者、であろう。

(4)「回や、その心、三月仁に違わず。その余はすなわち日月に至るのみと」(雍也篇第六)
・・・(直訳)「顔回の心は三か月間仁の境地にあり続ける。私は一日一月続けばせいぜいだ」
ここでいう仁は、持続的な志道と克己に努める姿勢とそれによる無私の境地のことであろう。

(5)「仁を問う。曰く、仁者は難きを先にして獲ることを後にす。仁と謂うべしと。」・・・(直訳)「仁者は困難なことに先に取り掛かり、見返りを得るのは後回しにする」

この仁も、思いやり、ではない。
無私、利他、克己心ある者の意味である。

(6)「仁とは己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く取りて譬うるを仁の方というべきのみ」
・・・(直訳)「仁とは自分が立身したいときに人を立たせ、自分が達成したいときに人に達成させる。仁とはもっと身近に譬えられるものだ」
この仁も、思いやりというのではなく、謙譲、利他、他人への貢献、無私というべきであろう。

(7)「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」(子罕篇第九、憲問篇第十四)
この場合の仁者は、憂えない、一喜一憂しない、心配に押しつぶされない、の意味である。
これを「思いやりある者」とは訳せない。
不断に道を志して克己した者、無我の境地にある者を仁者というのであろう。

(8)「顔淵礼を問う。子曰く、己に克ちて礼を復むを仁となす」「顔淵曰く、その目を請い問う。子曰く、非礼視ることなかれ、非礼聞くことなかれ、非礼言うことなかれ、非礼動くことなかれと」(顔淵篇第十二)
論語の仁の説明として、時に、仁とは克己のことである、という説明がされるのは、この句に拠るものであろう。
さらに仁の詳細を顔淵が問うたことに対し、孔子は、「見る、聞く、言う、行動する」基準が礼にかなっているようにという。

「正しく見る、正しく聞く、正しく言う、正しく行動する、己を克服すべく正しい思念を持って精進する」ということである。

こうしてみると、孔子の言う「仁」を追究する学び・研鑽なるものは、釈迦の唱えた八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)とほとんど同じ、パラレルな内容であることがわかる。

礼は、広義には「正しい規範」のことである。礼にかなった、を正しい、と置き換えてみれば、孔子のこの句と釈迦の八正道の教えがほとんど似通っていることがわかる。

無私、志道、克己、利他、謙譲が、無我と八正道と置き換えることができるとすると、仏教でも原初の教えである釈迦の教えのエッセンスとこの句に見える孔子の仁の教えはかなり相通じるというべきであろう。

なお、先進篇第十一に
「子曰く、回やそれちかきか、つねに空し」という句がある。
・・・直訳「(ほかの弟子たちを一言で評したのち)顔回は私に近い。つねに空である。」
大乗仏教の原初の般若経の根本概念が「空」である。「空」は釈迦の原初の教えの「無我」に近いが、大乗仏教の「空」には社会的存在として利他への志が背景にあり、無我をより肯定的にした概念と大乗仏教では解されている。
孔子は、様々な弟子を一言で喩えるなかで、自らと、自らの最高の弟子であった顔回をして、空と喩えた。
孔子は、上記の雍也篇で、顔回を自分と比べても長く仁の境地にあり続けられる者と評した。つまり「仁」と「空」は顔回への端的な評言であり、孔子が自らのあるべき特性として共鳴する点である。
仁に、空の概念が含まれると考えることは、容易に可能であると思われる。
ちなみに、孔子が生きた時代は、釈迦とは前後するが、大乗仏教の興隆よりはかなり前である。
大乗仏教の「空」は、サンスクリット語の「ゼロ」の漢語訳であるから、孔子の言う「空」とは時代も遅れるし、淵源が全く異なる。
しかしながら、孔子が顔回や自らを評した「空」は、大乗仏教の「空」と相通ずるものがあると言わざるを得ない。
後世の儒家たちが、この点にほとんど気づいていないのは、奇妙に思われるくらいである。
これは、後世、孟子や朱熹の解釈が孔子の思想の解釈のスタンダードとなったことと無縁ではないだろう。
孟子の仁の解釈は当たっている部分と狭く解釈した部分があるし、朱熹にしてもそうである。

*なお、孔子が顔回を評した「空」を、現代の日本語訳の殆どは「米櫃が空=貧しかった(が道を楽しむ)」と訳するが、これはおそらく朱熹以降に確立した解釈である。一方、加地伸行の訳は「心空(むな)し」と訳す。これは、南北朝時代の論語義疏(先進篇の該当箇所)といった古注によるもので、空とは虚心、心を虚しくすることで、心を虚しくすることが道を知るに不可欠で、聖人の道である、それが顔回を空と評した孔子の意図である、という解釈が、朱熹以前には「顔回は貧しい」と解するほかにもかなり有力だった。私見も、顔回を一言で評するのに「米櫃が空だった」はあんまりだろう、と考えるので、古義に拠った加地訳に与したいと思っている。

(9)「樊遅仁を問う。子曰く、人を愛すと」
仁の意味が、「愛」「思いやり」のことであると言われるのは、この句によるものであろう。 「敬天愛人」の淵源も、この句であろう。
しかし、この論語でいう「愛」はLOVEの意味ではない。
古代中国語の愛、原始仏教の愛(執着であるとして否定的)、密教の愛(絶対肯定)、キリスト教でいう愛、現代語としてのLOVE(男女の愛)、は、みな意味するところがが異なる。
古代中国語の愛は、広義には、他人を大切に思い大切に扱う気持ち、というのが一番語感に近いように思う。

(10)「樊遅仁を問う。子曰く、居所恭しく、事を執りて敬し、人と忠なるは、夷狄にゆくといえども棄つべからざるなり」(子路篇第十三)
・・・(直訳)「家にいてもうやうやしく身を慎み、物事に当たれば敬意の念をもって懸命に励み、人に対しては心から誠実であること」
この仁も、思いやり、ではないであろう。無私、克己、利他の心構えと態度のことであろう。

(11)「剛毅木訥、仁に近し」
この仁も、思いやりとは、訳せない。
無私、志道、克己、利他、謙譲だと考えれば、剛毅も朴訥も、心構えや態度としてはかなり性質が近い。

(12)「仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁有らず」(憲問篇第十四)
この仁も、思いやり、の意味ではない。
志道、克己の末に、無私・無我の境地に達した者は、物事にひるまないので、必ず勇の徳性を具備するという意味であろう。
勇のことを論じているのに、他人への思いやりがと論じるのは、いささか論証として必然性がなくつながりが弱いであろう。
ここで仁のことを思いやりという語意で論じているものとは思われない。

(13)「子張仁を孔子に問う。」「曰く、恭・寛・信・敏・恵なりと。恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得、信なれば則人任じ、敏なれば則ち功あり、恵なれば則ち以て人を使うに足れりと」(陽貨篇第十七、堯曰篇第二十)
ここでいう仁が、単に思いやりでないことは明らかである。
無私、志道、克己、利他、謙譲の心構えと態度をもって周囲に接したときの効果を述べたものであろう。
但し、仁者であることの利を説いているようにも見えて、やや功利的で、孔子の教えというより子張ら後世の弟子の教えと思えなくもない。

(14)「子夏曰く、博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う。仁そのうちにあり。」(子張篇第十九)
この仁も、思いやり、の意味でないことは明らかである。
志道、克己のためにたゆまず学び努める中に、仁がある、という意味であろう。
なお、朱熹の著「近思録」の語源はこの句にある。

————————————

長々と論語を引用した。

このように、「仁」を「思いやり」と解しては文意が定まらない箇所が実に多いのである。

もっとも、仁を「思いやり」「仁愛」と解して矛盾がない箇所も多いし、そう訳した方が良い箇所もある。

しかし、仁が、「思いやり」「仁愛」だけの語義でないことは、こうやって論語中で仁の語が現れる箇所を一通り検証してみると、改めて自分の臓腑に落ちる思いである。

孔子によって、仁が場面場面でかなり複合的な意味でつかわれるのは不思議なことではない。

英語の”integrity”が、同様に、はなはだ複合的な徳を含む概念として使われることが思い起こされる。

孔子は、語義として通有的な意味を超えて仁という言葉を造語的に使っていた可能性が高い。

とはいえ、上記のような「仁」の語義の解釈は、多くの碩学が書かれた論語の訳や解説書ではほとんど採られていない独自の見解であって、私は、自分の見解の方が正しいとか優れていると唱えるつもりはない。

大修館書店「大漢和辞典」でも「仁」には17種類もの意義が書かれているが、論語に関していえば意味は「いつくしむ、親しむ、思いやり、慈しむ、親しみ、克己、徳化、善政」などである。

ただ、文意の解釈としては、私の読み方が自然だと、今ではほぼ確信に近く感じている。

愛読書として折に触れて論語を読んで三十六年を経てようやく、論語の最上の徳「仁」の語意の解釈に、自分なりにたどり着いた、という思いである。

人権疲れとトランプ現象

1月 17th, 2017

トランプ現象の背景にあるのが、米国の国民の「ポリティカル・コレクトネス」に対する嫌悪感の拡がりにある、というニュース解説が目立つようになった。

アメリカの民主党政権というのは、歴代、概して、米国内にとどまらず、外国の人権状況に対するコミットメントが厳しく、クリントン政権もさりながら、オバマ政権に至ってその傾向は強まったと言えるだろう。

そもそも、オバマ政権の前のジョージ・W・ブッシュ大統領の共和党政権が、「サダム・フセインを打倒して、イラクに民主主義を根付かせる」「民主主義の戦い」と宣言して、あのイラク戦争を引き起こしたのである。

その結果が、イラクの宗派対立からの大混乱と内戦、あげくにISの台頭である。

さらに、イラク戦争は、中東の独裁国家への反発を広げ、アラブの春を誘発する。

アラブの春で、革命がある程度成立してしまったほとんどの国は内戦などの大混乱に陥った。

独裁が復活したエジプトなどは人権抑圧とともに安定を取り戻しもしたが、最悪の結果がアサド独裁政権下のシリアで、ISはおろか、反政府組織もテロ組織に親和性があり、それに対するアサド政権の虐殺と人権抑圧は内戦前よりはるかに激化した。

EUにはシリアから難民が大量に流入し、難民を寛容に受け入れてきたドイツやフランスの「ポリティカル・コレクトネス」を根本から揺るがした。

イギリスに至っては、EUの理想である一つのヨーロッパというという「ポリティカル・コレクトネス」から、国民投票によるEU離脱決定という形で、背を向けてしまった。

その中でのトランプ現象である。

「ポリティカル・コレクトネス」に対し、あからさまに露悪的に背を向けた言動を繰り返したトランプ氏を地滑り的に大統領に押し上げた米国社会には、どこか「ポリティカル・コレクトネス疲れ」の空気がひっそりと拡がっていたのだと思われる。

フィリピンでは、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、検察官出身であり、ダバオ市長時代から麻薬犯罪に対する過激なまでの取り締まりをしてきたが、ドゥテルテ大統領の言動を、オバマ政権が人権侵害であると繰り返し警告したことから、ドゥテルテ大統領が激しく反発し、米国とフィリピンの国家間の関係は抜き差しならない状態に陥ってしまった。

ドゥテルテ大統領は、検察官出身で、現時点では少なくとも、見境の無い暴君というわけではなさそうである。

フィリピンの麻薬戦争において麻薬密売犯罪組織を撲滅するためにやむにやまれぬ強硬手段を講じているという自覚を持っていることが、言動からうかがえる。

コロンビア麻薬戦争、メキシコ麻薬戦争といった、犯罪組織との内戦ともいうべき状態にある国々を見ていると、フィリピンの麻薬組織の深刻さと社会全体にもたらしている被害も相当なものであり、それが、麻薬組織に対し殺戮を辞さない超法規的な取り締まりをおこなうドゥテルテ大統領が、国民支持率90パーセントという異常な支持を獲得している理由であろう。

もちろん、ドゥテルテ大統領の行為が、デュー・プロセスでアウトであることは疑問の余地はなく、ペルーのフジモリ大統領のごとく(フジモリ大統領もペルーの麻薬組織を強引に撲滅して社会的経済的安定をもたらした)、政治的に落ち目になれば職権濫用・虐殺の汚名を着せられることは容易に想像がつく。

ドゥテルテ大統領は、そこまで予測しながら麻薬密売犯罪組織の壊滅を優先しているかのような開き直りを感じる。

これが、ドゥテルテ大統領が守りに入って自らの保身に走った時は、たちまち市民を弾圧する独裁政権へと転ずる可能性は否定できない。

一方、麻薬組織の撲滅がひと段落つけば、法曹らしくデュープロセスに回帰する可能性もある。

トランプ大統領はといえば、ポリティカル・コレクトネスを偽悪的に貶めるような発言が目に付く。

ポリティカル・コレクトネスそのものがトランプ氏自身に対する攻撃手段だとみなして、手当たり次第に反発しているように見受けられる。たいしたことでもないのにスルーができていないのが幼稚に見えるくらいである。

そんなトランプ政権は、オバマ政権とは打って変わって、外国の人権抑圧状況をスルーするようになる可能性が高いと思われる。

これは、一面では世界の人権外交と人権状況の後退である。

しかし、米国の人権外交が、OECDレベルの先進国を除けば、多くの国にとって国の実情を無視した迷惑な内政干渉、政権転覆行為、犯罪組織の跋扈や混乱を助長し国民を不幸に陥れる行為と、しばしば受け取られていることも、一面の事実である。

さらに、多くの場合、米国の人権外交は、実は米国の国益追及と裏でリンクしていて、米国の国益にそぐわなければ米国はしばしば人権外交を手控える、という批判も、また一面の真理であろう。

例えば、中国国内での人権抑圧には、米国の歴代政権は、民主党政権含めて、極めて寛容である。

米国の、イラク戦争の遂行や、アラブの春への中途半端な口先介入による混乱が、人権外交の結果だとすれば、人権外交が招いた中東の諸国民にとっての結果として最悪である。

トランプ大統領のアメリカは、外国との経済関係とのバーターで、外国の人権状況など、簡単にスルーしてしまうように思われる。

そういう意味で、トランプ政権下で、対ロシア、対フィリピンなどとの関係の改善が見込まれるのは、予想とたがうところではないだろう。

トランプ次期大統領は、シリアなどはアサド政権とロシアの圧政に任せた方がよいと、まじめに考えている可能性が高い。

米国基準の感覚で人権を振りかざすことが、ある国家の状況においては、最大多数の最大幸福に必ずしもつながらないことを、米国が、対外的にも、対内的にも、ここ数年で示してしまったのかもしれない。

それは、世界にとって、長期的には不幸なことであるが、短期的には社会の安定と経済的繁栄をもたらすかもしれない。

トランプの米国が、人権外交を押し付け振りかざすというオプションをあまり行使しなくなる、というのは、ある意味米国が世界の多様性を認め、傲慢な理想の押し付けを控えるようになる、といえるようにも思われる。

米国の傲慢な利益誘導とパワーゲームが逆に増えるとは思われるが、それはそれで他国からすれば米国の行動基準を予測しやすくするかもしれない。

一方、トランプ氏の論理と政策が、米国民の幸福の最大化をもたらすかは、正直疑問なようにも思う。

とにかくも露骨に利益誘導的でエキセントリックで、一国の指導者としての持続可能性に疑問がわくほどに危なっかしい。

とはいえ、米国という民主主義社会は極めて強靭であるから、とことん深刻な事態にはならないとも思われる。

なにしろ、8年間のジョージ・W・ブッシュ政権すら、米国はやり過ごしてきた。

ブッシュ政権のもとで起きたリーマンショックは民主党政権がしりぬぐいをし、アフガニスタン戦争・イラク戦争は共和党が政権を奪還してなおまだ負の遺産として尾を引いているが。

米国はやはり民主主義国家としては別格だと言わざるをえない。

しかし、歴史を鳥瞰すれば、先進国と中進国と途上国、さらにはキリスト教国とイスラム諸国とアジアの国々を、経済的状況もさりながら人権状況において、ひとくくりにすることができないこと、それぞれの国がめざす解は短期的中期的に一つではないことも、また事実である。

米国腐敗防止法とサムスン

1月 16th, 2017

本日のニュースによると、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領と友人の崔順実(チェ・スンシル)氏を捜査する特別検事が、2017年1月16日、贈賄容疑などでサムスン電子の李在鎔(イ・ジェヨン)副会長の逮捕状を裁判所に請求したとのことである。

昨年から、報道において、サムスングループ企業のサムスン物産と第一毛織の合併に関し、朴大統領がサムスン物産大株主で政府所管の国民年金公団を通じ合併のための便宜を図った見返りとして、崔順実氏がドイツに所有する企業「コレスポーツ」と220億ウォンに上るコンサルティング契約を結び、崔被告のめいのチャン・シホ被告が運営していた韓国冬季スポーツ英才センターに16億2800万ウォンの後援金を支払ったことなどの疑いが取り上げられ、問題視されていた。

国によって贈収賄の法制も認定も異なるため、一概に比較はできないが、日本であれば、崔順実氏の職務権限の壁を越えるのは簡単なことではないと思われ、このようなケースで贈収賄を起訴に持ち込むことは検察官が断念した可能性も高いように思われる。

一方で、以前から韓国社会で接待や賄賂が横行する風潮については批判が絶えず、その懸念が最悪の形で露呈したということなのかもしれない。

昨今の、韓国世論の朴槿恵大統領や崔順実氏に対する非難の声は、あまりに厳しく、韓国の検察としても世論の注視に抗しきれず、立件をしないわけにはいかなくなったのではないかと思われる。

サムスングループトップが贈賄罪で有罪になるかは、韓国の司法判断と、事実関係によるので、にわかに判断しようがないところである。

しかし、仮にサムスングループトップが、サムスングループの合併に関して贈賄罪で韓国で有罪になった場合、米国腐敗防止法(FCPA)の適用、それに関しサムスングループの経済的活動への重大な影響、という懸念が、顕在化する可能性が高まる。

そしてその韓国経済への影響は、甚大なものになる可能性がある。

米国腐敗防止法は、米国から見て外国の公務員への賄賂を米国法で処罰するものであるが、米国以外への域外適用の余地が非常に広く認められている。

藤川信夫「新たな国際汚職防止法の考察」 615ページ
http://www.law.nihon-u.ac.jp/publication/pdf/seikei/50_3/19.pdf
によれば、

株式または米国預託証券等の証券を米国証券取引所に上場している法人の場合、当該法人等およびその役員、取締役、従業員、代理人、株主(役員等)がFCPAの対象となる。

サムスングループは米国においても複数の子会社を上場させている。

他にも域外適用のルートは複数ありうる。

サムスングループのトップがサムスングループの事業に関し贈賄をおこなって韓国法で有罪となったとなると、米国腐敗防止法の域外適用を回避する可能性は極めて乏しくなるのではないか、と懸念を感じざるをえない。

もっとも、サムスン電子の広報部門は、サムスン電子は米国腐敗防止法の適用はない、とアナウンスしたようである。

サムスン電子のアナウンスをどこまで信じてよいものか、と感じる向きもあるだろう。

企業間取引の法務チェックの現場にいる弁護士の実感として、上場企業、外資系企業、輸出入関連企業はもちろんのこと、一見国内の中小規模の企業同士の取引であっても、取扱商品について上流下流の企業との関係から、米国腐敗防止法はじめ各国の腐敗防止法や贈収賄法規への抵触を禁止する条項を継続的取引契約で入れるのは、かなり当たり前になっている。

そういった契約条項では、仮に契約の相手方の企業の役員、従業員が腐敗防止法等に抵触すれば、無条件での契約解除や、取引打ち切りに関する損害賠償などが可能であることが定められている。

このような腐敗防止法抵触企業との取引解除ができることを広く定めるようになってきたのは、端的に、贈賄企業への経済的利益の提供により、共謀に問われることや、レピュテーションリスク、株主からの追及リスクを懸念するからである。

贈賄企業の株式を保有することも、リスクファクターとなる。

すなわち、現在のグローバル企業間の取引のスタンダードでは、贈賄企業との取引を強制解消して、取引関係を打ち切り、関係を遮断することが、社内コンプライアンスとなっているのである。

サムスングループトップが韓国内で有罪になったとすれば、サムスングループについて、米国の司法省による捜査は避けられないように思われる。

米国の司法省による、企業犯罪に対する厳罰化は、近年はなはだ厳しさを増しており、罰金や損害賠償合わせ数千億円単位の制裁が命じられている事例があとを絶たない。

しかしさらに問題なのは、サムスンは、アジアで最大規模のグローバル企業のひとつであることである。

サムスングループの経済規模は韓国経済の2割を占めるといわれているほどである。

サムスングループの取引先の大半も同様にグローバル企業であるから、米国腐敗防止法その他各国の腐敗防止法抵触の観点から、継続的取引契約を打ち切る可能性は相当程度見込まれると思うところである。

サムスンとの取引がサプライチェーン上欠くことができないような企業は、今回の報道を見て、社内コンプライアンスや契約条項との関係で対応をどうしたものか、頭を悩ませているものと思われる。

おそらくはサムスンだけに切るに切れず、というところであろう。

これが取引相手が中小企業で賄賂による立件騒動が起きたのであれば容赦なく切り捨てられるであろう。

しかしサムスン相手でも切りに行く取引先はあると思われる。

代替品が容易に調達できる製品やサービスならそうなるであろう。

サムスングループの販売する製品や商品で、BtoC、つまり一般消費者向けの商品であれば、売り上げへの悪影響はさほどではないかもしれない。

しかし、一般消費者向けの商品であっても、その部品調達ともなると、欧米日などの先端技術を持つ企業のサプライチェーンからの調達が不可避である。

そのサプライチェーンの企業らから取引遮断されてしまうと、商品供給に支障を生じることになるだろう。

BtoBとなると、取引遮断により、影響は深刻になる可能性がある。

さらに各国への官公庁購買における入札参加資格ともなると、サムスングループの排除は現実のものとなるであろう。

国によっては、米国腐敗防止法の適用などに動じない国家もあるかもしれない。

しかしそういった国の企業でも、米国での経済活動をしている場合は、リスクとは無縁でいられない。

財閥グループの寡占経済である韓国においても、特に、サムスングループにとっての打撃は、韓国経済への打撃に直結する。

他の財閥グループの類似事案掘り起こしによる贈賄罪立件の波及の懸念も高まることになる。

韓国の他の財閥企業グループもサムスンとの取引に躊躇せざるをえないことになる。

韓国経済への打撃が顕在化すれば、通貨安、外貨準備高の減少、とスパイラル的にダメージが拡大し、韓国通貨危機、さらに周辺アジア諸国への通貨安の波及もありうる。

おりしも日韓の通貨スワップ協定の協議も中断されてしまった。

しかしなぜか、昨年後半から年末年始にかけて、サムスングループへの贈収賄疑惑が取りざたされている中でも、サムスンの株価は下げるどころかじりじり上がり続けてきていた。

サムスングループの時価総額や利益額からして、着実な株価の上昇傾向自体はありうることであるし、むしろ市場心理が落ち着いているとすれば歓迎すべきことである。

しかしこれだけの不安材料があるなかでの最近の上昇傾向は、やや首をかしげるほどであった。

懸念が現実のものにならないことを祈るしかない。

その時は日本経済も無事ではないと思われるからである。

それにしても、韓国政治や、韓国マスコミの、全般的傾向としてのエキセントリックさ、振れ幅の大きさ、近視眼的傾向は、経済や安全保障も含めた国家的リスクを招いているように思われる。

対外勢力による煽動、政治工作に対しても脆弱にならざるをえない。

といって、そもそも財閥企業らによる極端な寡占経済、社会のゆがみ、その中での賄賂の横行が、国家経済にとって深刻なリスクファクターだったわけで、その弱点が露呈したと言えるわけだが。

低速でも快適に使えるSIM

12月 28th, 2016

私が今使っているSIMは、BIGLOBE SIM で、通話機能付きSIM、高速通信容量は1Gバイトである。

音声通話スタートプランといい、月1400円である。

1Gバイトという容量は、ニュースサイトを通勤中にスマホで見ていると、一ヶ月以内でほぼ無くなる容量である。

今月は、東京出張や遠方出張が多く、つい使いすぎてしまったのか、18日ころまでには高速通信ができなくなり、200kbpsの低速状態になってしまっていた。

どうやら、モバイルノートを新幹線の中でテザリングでスマホに繋いでいた間に、Windowsupdateでもかかっていたのか、大量に高速通信容量を食ってしまったらしい。

しかし、低速状態になっていることにしばらく気付かなかった。

ニュースサイトを見るだけなら、文字表示だけでいえば、低速通信時でも、それほどレスポンスが変わらないのである。

低速通信時に、Google Chromeでブラウジングすると、まず文字がパッと表示されて、しばらく画像や広告表示に時間がかかる。しかし、ニュースだから、基本、文字しか読まないので、あまり不自由がないことになる。

画像表示が遅いな、ということではじめて気付いたくらいである。

そのときは、あと2週間、どうしようかなあ、追加容量を購入することになるかな、とも思った。

しかし、それから低速状態のまま1週間経って、なにもストレスがないのである。

動画はそもそもスマホで外で見ることがない。

動画は、自宅で、タブレットや、PCや、大画面テレビ+Chromecast でみるものだと決めている。

さらに、自宅では常時接続回線+wifiルータ環境があり、スマホのアプリのインストールや更新はwifi環境下でしか動作しないように設定してあるので、いよいよ何も困らない。

ということで、この1週間、快適に200kbps環境で過ごしている。

ところで、私は出張時にはノートパソコンを持ち歩くので、スマホからのテザリングで、PCメールの受送信をすることになる。

200kbps環境で、新幹線や電車の中や空き時間でメールを受送信する必要があるのである。

では、200kbps環境で、PCメールの受送信に、一体どれくらいの時間がかかるのだろうか。

試しにさきほど、50通で計1.8メガバイトのサイズのメールデータを受信してみた。すると、約2分かかった。

私のスマホとモバイルノートは、どちらも動作は速くない。

それでもまあ、1分で0.9メガバイトの回線速度が出ているものと思われる。

200kbpsは0.2Mbpsだから、1分に直すと12Mビットであり、これをメガバイトに直すと、分速1.5メガバイトが理論上の最大値、ということになる。

200kbpsの限界値に対して、遅いスマホとPCでもそれなりに速度は出ていることになる。

10メガバイトのメールでも10分少々である。

うん、これなら、PCメールの受送信だけであれば、まあ使えるな、という結論となった。

メールの受送信の間、エディタでも開いて、別の作業をしていればよいだけだからである。

ただし、注意しないといけないのは、何日分も大量に未受信メールをためると、どうにもならなくなる、ということである。

あとは、運悪くWindowsupdateの日にでもかち合ってしまうと、自動更新を止めない限り、ほぼメールの受送信は止まってしまう。

実は上記の計測をしたとき、最初の計測時にちょうどWindowsupdateが動いていた。

見事に、メールの受送信は停止して、メーラーが考え込んでダウンロードが凍り付いてしまっていた。

つまり、出張前には、モバイルPCのメールの受送信を済ませ、Windowsupdateを済ませておかないと、痛い目を見ることになるということである。

そういった注意点はあるものの、200kbpsという低速通信でこの程度モバイルルーターとして使えるのであれば、PCをテザリングで延々と繋ぎっぱなしでよいように思われる。

ただし、低速通信の使いすぎにも注意が必要である。

SIMによって、低速通信を使いすぎると、さらなる「(超)低速制限」がかかってしまい、「超低速制限状態」に陥ってしまうSIMがある。

BIGLOBE SIMは低速通信は無制限であり、超低速制限がかからないので、私はそんな経験はないが、超低速制限状態になると、10~20Kbpsにまで陥ってしまうらしい。

この速度だとほぼWebのブラウジングも無理である。

3大キャリアでも、ソフトバンクが容量(高速通信容量)超過したときの制限の厳しさは有名で、なんとそれくらいの超低速状態まで速度が落ちてしまって、追加容量を購入しかなくなる、という話を聞いたことがある。

こうなると、200kbpsの格安SIMの方がよほど快適、というのであれば、笑ってしまう話である。

格安SIMで超低速制限状態に陥るSIMは、だいたい、3日間で低速通信を366MB使うと(超)低速制限がかかるというのが相場である。

こうったSIMの代表例が、IIJ系のSIMである。

一方で、低速制限がかからない(超低速制限に陥らない)SIMというのもある。

代表的なものが、

OCNモバイルONE
BIGLOBE SIM
LINE モバイル
mineo

である。

この中で優れているのは、OCNモバイルONEとmineoで、専用アプリをインストールすればワンタッチで高速通信をオフにすることができて(つまりターボをオフにする)、つまり低速通信モードに切り替えることができて、そうすると高速通信容量が減らない。

つまり、1Gバイトといったわずかな容量でも、普段は低速通信で過ごすことで、いざ速さを求めるときだけ高速通信を使えばよいことになる。

BIGLOBEはここが中途半端で、高速通信・低速通信を切り替えることができない。

つまり、月の初めから高速通信容量から使わざるを得ない。

否応なく高速通信容量から使い果たした月の最後の方で、低速通信で過ごすしか無くなることになる。

但しそこからは低速通信が無制限で、超低速制限状態には陥らない。

OCNモバイルONEとmineoであれば、月の最後の方まで、高速通信容量を節約することでいざというときのダウンロードのために十分高速通信容量を残しておくことができる。

とはいえ、BIGLOBE SIMで、低速制限状態で10日間を余裕で過ごせたことを考えると、そこまでの差は無いようにも思ってしまった。

IIJ系でも、hi-hoのSIMは、Webにログインすれば、SIMのターボをオンオフできてしまう。これは優れものであるが、高速通信容量と低速通信容量をどちらも使い切れば同様の超低速制限という問題は起きてしまう。

ちなみに、イオンモバイルは、IIJ系である。

と思っていたら、ごく最近、12月になって、データSIMのみで、タイプ2という低速通信無制限のSIMを販売するようになっていた。

http://aeonmobile.jp/simtype/

なんと、このタイプ2というのは、高速通信容量1G、低速通信であれば無制限に使えて、超低速制限はかからないで、月480円である。

似たような仕様のLINEモバイルが月500円だから、それを意識して発売したものと思われる。

そして、このイオンモバイルタイプ2というSIMは、OCNモバイルONEからのリセールのSIMのようである。

イオンモバイルのデータSIMは、以前から1Gタイプ480円で、IIJ系であったが、それがタイプ1と言われるようになった。

これからは、データSIMに限って言えば、どう見たって、タイプ1のSIMを買う合理的理由は無い。

なんでタイプ1をいまだに売り続けていているのかが不思議なくらいである。

在庫処分だとすると買ってしまう人はかわいそうである。

ちなみに、イオンモバイルのタイプ2のSIMは、通話可能なSIMの発売予定はないようである。

もし、イオンモバイルが、そんな通話SIMを月480円+700円で発売してしまえば、OCNモバイルONEが発売している月1600円か1800円の通話SIMは競争力を失ってしまうだろう。

だから、OCNモバイルONEが再販を認めないのだろうと思われる。

天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議 ~生前退位の問題

11月 17th, 2016

「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が、本格化している。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/kaisai.html

有識者のヒアリングが既に2日間、これまでに11名実施されている。

そこでは、私には意外であるが、有識者意見には、生前退位そのものに反対、摂政で対応すべし、皇室典範の改正にも特別措置法にも反対、という意見が多い。

そもそも、この有識者会議の目的は、「公務の負担軽減」が主たるテーマのはずである。生前退位は、公務の負担軽減に関して、その重要な選択肢として検討すべきテーマという建て付けである。

有識者のヒアリングの質問事項をもう一度見ておこう。

(質問事項)
① 日本国憲法における天皇の役割をどう考えるか。
② ①を踏まえ、天皇の国事行為や公的行為などの御公務はどうあるべきと考えるか。
③ 天皇が御高齢となられた場合において、御負担を軽くする方法として何が考えられるか。
④ 天皇が御高齢となられた場合において、御負担を軽くする方法として、憲法第5条に基づき、摂政を設置することについてどう考えるか。
⑤ 天皇が御高齢となられた場合において、御負担を軽くする方法として、憲法第4条第2項に基づき、国事行為を委任することについてどう考えるか。
⑥ 天皇が御高齢となられた場合において、天皇が退位することについてどう考えるか。
⑦ 天皇が退位できるようにする場合、今後のどの天皇にも適用できる制度とすべきか。
⑧ 天皇が退位した場合において、その御身位や御活動はどうあるべきと考えるか。

さて、論点について、順不同で考えてみたい。

まず③(高齢の天皇の負担軽減策)である。

現在の天皇の公務状況は、高齢の天皇にはきわめて苛酷なスケジュールになってしまっていることは、否定しうべくもないであろう。

なにが問題なのかを考えてみるに、国事行為・公的行為・宮中祭祀それぞれについて、天皇が自ら臨席して執り行われるものが、あまりに増えすぎ、多すぎる状況に陥っているというべきと思われる。

天皇の務めについては、天皇自ら執行するかどうか、代理・代読・代拝で済ませるかについて、優先順位はあってしかるべきである。

例えば、憲法上の国事行為については、可能であれば天皇自ら執り行うことが優先されるべきである。

だが、国事行為でないいわゆる公的行為については、高齢や病弱等の天皇の場合、あるいは健常な天皇であっても、できるだけ代理に皇族を立てるなり、宮内庁職員による代読に切り替えるなりして、天皇のスケジュールを過密にしないようにコントロールすることを、現状よりもっと積極的に励行すべきである。

さらに、宮中祭祀といった部分については、侍従や宮内庁職員による代理を立てて執り行うことを増やすことをさらに励行すべきであると思われる。

次に、④(摂政の設置について)である。

摂政の設置は、負担軽減策のうち、一つの選択肢としては、当然、ありうる。

今回についていえば、摂政は、皇太子が就任するべきこととなるだろう。

しかしながら、皇太子自身も、自ら臨席しておこなう公的行為は、年を追って増えているはずであり、おそらくそのスケジュールの過密度は、既に相当なレベルにのぼっているはずである。

現状のように、天皇の自ら執り行う国事行為・公的行為・宮中祭祀が過重になっている状況で、皇太子を摂政に立てて、天皇のおこなう国事行為・公的行為・宮中祭祀を摂政皇太子に振り向ければ、摂政として、また皇太子として、国事行為・公的行為・宮中祭祀が集中する皇太子のスケジュールと業務量がパンクしてしまうことになるように思われるのである。

それでは解決にならないというか、別の問題を生んでしまうだけのことになる。

昭和天皇と今上陛下は、特に国事行為・公的行為・宮中祭祀を自ら執り行うことを重視されてきた。

そういった歴代天皇陛下がそれぞれの思いで増やされた公的行為をそのまま引き継いでは、代を重ねるにつれて公務量がパンクすることは明らかである。

昭和天皇と今上陛下は、第二次世界大戦に対する贖罪のお気持ちを長年背負い続けてこられ、国民に親しまれる象徴天皇の形を確立すべく、国民に接する公務の機会の拡大を志向されるといった形で、尋常ならざる努力を積み重ねてこられた。

昭和天皇や今上陛下のご努力は、さまざまな公務を新たにお引き受けになるという形で、年々、公務の増大を招いてきた。今上陛下は、皇太子時代にも自身が公務を増やしつつ、昭和天皇がお引き受けになった公務を、大半継承された。皇太子時代の公務を現皇太子にバトンタッチしたとしても、バトンタッチしきれているのかも疑問である。

自分が始めた公務というのは思い入れのあるものであり、また、先代の天皇が始めた公務を引き継ぐ者は、そのままその思いを引き継ぐという重責を負うことになる。

「天皇も代わったのでもう止めます」「今後は天皇でなく皇族で代理してもらいます」とはただでさえ言いにくい、はなはだ憚りの多い公務削減作業であり、相当な困難を伴うものと思われる。

一方、公的行為に天皇が臨席するか、皇太子が臨席するか、どの皇族が臨席するか、代理代読で済ますか、というのは、行事の主催者側からすれば、格と体面に関わる関心事になってしまいがちである。

要するに、天皇や皇太子の臨席する公務は、増えるばかりで、リストラするのはきわめて大変なのである。

天皇や皇太子に、自ら思い入れがあるほど、先代の思い入れを継承しようとして受け止めようとすればするほど、後継者がまじめであればあるほどに、公務の軽減は難しくなる。

さらに、宮中祭祀についてである。宮中祭祀を天皇自らができるだけ執行をすべきなどというスタイルは、そもそも皇室古来の伝統ではない。

平安時代に4歳とか10歳といった幼少で就任した天皇も多かったことを考えればそれは容易にわかる。

冷暖房もない拝殿で、長時間、祭祀を主催するというのは、並大抵の体力・精神力でつとまるものではない。

相当な消耗を強いられるであろう。

だからこそ、江戸時代以前までは、摂政関白にもよらない、公家(公家というのはほぼ藤原氏か公家源氏であって、皇族ではない)による代拝が、ごく当り前だったのである。

明治天皇・大正天皇になって変わったかと言えば、江戸時代までの公家の代拝が、侍従(戦前は華族)の代拝になっただけのことである。

それが、昭和天皇の代(大正天皇の摂政就任以降)になってから、宮中祭祀を代拝で済まさず直接ご自身で執り行われることが格段に増えたようである。

これは、昭和天皇の責任感の尋常でない強さゆえであっただろう。

そして、そのスタイルが、今上陛下にそのまま引き継がれているようである。

宮中祭祀については、江戸時代には窮乏した朝廷ゆえに消滅していた祭祀もずいぶんあったようである。

が、明治時代になって、ある意味財政的裏付けもできて、天皇の権威を強化する思惑から、多くの宮中祭祀が復興され、また新たな祭祀が創始されたとされる。

つまり、ただでさえ、江戸時代の天皇よりはるかに宮中祭祀は過密スケジュールになっている。

そこに、明治天皇大正天皇よりも、昭和天皇や今上陛下ははるかに宮中祭祀を自ら執り行うようになった。

つまり、宮中祭祀だけでも、今上陛下の負担ははなはだ旧来より過重されてしまっている、ということであろう。

これは、相当に深刻な問題なのである。

むしろ宮中祭祀の侍従による代拝化、というのをかなり積極的に進めないことには、天皇の負担の軽減は覚束ない。明治以来の伝統だといってもその簡略化や廃止は簡単ではないから、おそらく侍従による代拝化くらいから進めるしかないであろう。

それを、代わりに摂政皇太子がやればよい、というのは、これまた、皇太子に大変な無理を要求する話なのである。

そもそも、皇族が摂政をやったのは、聖徳太子、中大兄皇子といった、日本書紀の時代の話である。

しかも日本書紀の時代には摂政という名称すら、あったわけではない。

日本書紀が後から、「まつりごと(政)をと(摂)った」者という意味で書いているのが、平安時代以降先例として採用されたものであるというべきである。

摂政は律令制に規定のない令外官であり、奈良時代にはそもそも正式な律令上の職として存在してはいない。

さらに、平安時代以降は、臣下である藤原氏しか、摂政に就任していない。

つまり、皇族でなければ摂政ができないということ自体、実は、日本の伝統ではない。

しかも、皇室の祭祀で代拝などをおこなうのも、別に必ずしも摂政ではなく、多くは祭祀を司る中級以下の公家であった。

摂政皇太子が代わりに宮中祭祀をおこなえばよい、という方向性に、私は、賛成できない。

摂政皇太子のパンクを避けるためには、祭祀の代拝は、摂政皇太子に振るのではなく、侍従や宮内庁職員にさらにアウトソーシングすべきなのである。

こういった憚って言いにくい背景があるからこそ、負担の軽減というのが、この有識者会議の表題にもなっているのではないだろうか。

質問事項には正面から書かれていないが、国事行為・公的行為・宮中祭祀を天皇が自ら執り行う範囲を縮小し、皇族はもちろん侍従や宮内庁職員による代理や代読や代拝で済ませるように移行していくことをもっと推進すべく検討すべきという点が、重要な要検討事項だと思われる。

それに重きをおいて答えている有識者があまりにいないのには、やや首をかしげるところである。

単に、摂政皇太子が代わりに執り行えばよいという回答は、きちんと現状の問題に回答したことになっていないのではないかと思うところである。

さて、摂政皇太子が代わりに行えばよいとして、皇太子の摂政就任と摂政への事務の以降をを実行してしまった場合に、どういう事態が生じるであろうか。

今上陛下が在位のまま、摂政に皇太子が就任したとして、皇太子が「これまでは天皇が直接臨席したり執り行ってきましたが、私が摂政になって以降は、侍従による代理・代読・代拝にできるだけ移行します」と、宣言して実行できるものだろうか。

今上陛下が自ら執り行うことへの長年お持ちの思いやこだわりを考えれば、摂政皇太子や宮内庁の侍従や官僚たちが、今上陛下在位のまま、今上陛下は一応口を出されないからといっても、摂政としてそのような公務軽減を実施するといっても、実際には、今上陛下の思いへの憚りがあまりに大きすぎて、結局実現が困難だろうと思われる。

となると、やってくるのは、摂政皇太子の国事行為・公的行為・宮中祭祀の殺到による、さらに悪い形でのスケジュールパンクである。

まだしも、今上陛下が生前退位によって一切の公務から身を引かれ、上皇として次代への一切の口出しはしないというご自制をいただいた上で、次代の天皇の公務や宮中祭祀の負担の軽減を、次代の問題として果断に処理することが、より新時代にふさわしいものというべきように思われる。

単に摂政を置けばよいという有識者の回答がいくつも見受けられるのであるが、公務の軽減という、有識者ヒアリングのテーマに実は十分に答えられていないように思われるところである。

⑥(天皇の退位について)は、私は、生前退位はありうるべきと思っているが、少なくとも今回は、皇室典範の特別措置法で対応するのがよい、という考えである。

まず、一部の評論家諸氏が挙げている理由として、天皇の生前退位が憲法上禁じられている、などというものがあるが、そのように憲法を読むことはおよそ不可能であると思われる。

そもそも、なぜ現行の法体系で生前退位がいまできなくされたかといえば、明治以降、戦後の改正でも、皇室典範に生前退位の規定が置かれていないからということに尽きる。

江戸時代までは歴代のうち約半数の天皇がおこなっていた生前退位が明治の皇室典範によってできなくなったということである。

生前退位ができないという伝統はたかだか明治時代以降のことであって、古来の伝統や1000年以上にわたり蓄積された先例にはむしろこの100数十年だけ反しているということもできる。

これは、幕末期に攘夷運動の理由として存在した「鎖国は皇国伝来の祖法である」などという誤謬と似ている。

伝統というのはどこまでも先例の積み重ねによって形成されていくものである。

現行の法体系で言えば、生前退位を予定していない(といって、明文上は禁止もしていない)皇室典範はあくまで法律のひとつである。

あらためて、天皇の生前退位が憲法違反だなどという意見は的外れであろう。

次に、天皇の生前退位は、天皇制がどうあるべきかという問題、すなわち法律(皇室典範)がどうあるべきかという問題であり、また、天皇の憲法上の位置付けに照らし、国民の総意に基づくことが望ましいということになる。

なにしろ、天皇の生前退位が起きれば、元号すら変わる。

だから、国会の議決による承認は、生前退位の都度、必要であろうと思われる。

しかし、例えば、国会の議決をその都度要するといったことを皇室典範に書くべきであろうか。

あるいは、退位は天皇の意思に基づく、と書くのであろうか。

国会の議決と天皇の意思を両方要件にするのであろうか。

高齢なら退位を認めるというなら高齢とは何歳であろうか。

高齢でなくても心身に支障を来すことはあるのではないか。

認知症に陥った天皇はどうなるのか。

事故や病気で植物人間状態になった場合はどうか。

精神に異常を来した場合、素行不良が過ぎて国民の信頼を失った場合、職務放棄の場合はどうだろうか。

英国王エドワード8世のような結婚問題から退位を希望した場合はどうか。

退位希望が結婚というよりLGBTを理由とするものだとすればどうか。

余命いくばくもないから公務から解放されて静かに暮らしたいと願った場合はどうか。
果たして、こういった事由を、皇室典範で列挙できるものであろうか。

それに外国の王位継承法ではそこまで列挙しているのであろうか。

こう考えると、実は、起こりうる合理的な生前退位の事由を、皇室典範で列挙して、かつ不合理の無いよう、さらに政治の側からも皇室の側からも乱用が起きにくいように、遺漏無く規定するというのは、そのような法改正作業自体が、大変な議論、へたをすると争論と紛糾を巻き起こしてしまう可能性が相当に高いのである。

特別措置法でなく皇室典範そのものに退位事由を記載せよ、という意見は、事情はよくわからないがなぜか野党議員がよく主張しているようである。悪く取れば、与党の方向性に対する政争の具として、国会で争論と紛糾を招かせるために主張しているのではないかと思わせるところがある。

法律の効力として、法律と特別措置法に優劣があるわけではない。

「皇室典範と特別措置法では、格が違う」ということであろうか。

そうだとすれば、それは情緒的な議論というしかない。

天皇の即位・退位・譲位、上皇の立ち位置も含め、宮中の決まりごとというのは、実は、先例の積み重ねである。

江戸時代までであれば、その都度公卿会議で決定されたことが有職故実として累積されているもので、いわば英米法系の、判例法、不成文法型の法体系ともいうべきものである。

天皇の生前退位については、明治より以前についてはほぼ半数の天皇が生前退位しているという現実がある。

その理由は様々であり、退位が適当であった場合も、退位の思惑によって混乱が生じた場合もある。

自然と、よき先例と、悪しき先例が歴史的に検証されて想定されてきたものである。

その都度公卿会議や幕府との協議の上、よき先例に適合するような形に配慮されて、生前退位が行われてきた。

そして、一旦、明治になって、皇室典範によって、全ての生前退位は悪しき先例として全否定されてしまった。

しかし、生前退位が、よき先例として将来的にも参考になる状況があるのであれば、再び、よき先例としての生前退位の事例を一から積み重ねていくことは、一概に否定するべきではないように思われる。

そう考えれば、現状の皇室典範では想定されていない生前退位について、特別措置法で今上陛下の退位を国会で議決しておこなうことは、シンプルに生前退位の一つの先例を積み重ねるという作業であって、国民の総意が今上陛下の退位を認めたいというところで収斂している以上、一番穏当で余計な議論の紛糾を招かない解決ということになる。

なにより、今上陛下の退位に関係のない、あらゆる退位の可能性について列挙すべく検討しなければいけないといった、議論の紛糾と争論の可能性を、賢明に避けることができる。

今後さらに、将来の天皇が生前退位すべき場合が発生したら、そのときに国民の総意を汲んだ国会で特別措置法として慎重に議決して次の先例を作ればよいというのが、私の考えである。

そういった先例が何回か積み重なったころ、たとえば100年後、200年後になって、皇室典範の退位の事由を定めてもよいと考える時代が来たとしても、不都合はないと思われる。なにしろ皇室は既に1500年以上、先例の積み重ねの上に、ゆったりと続いてきているのである。

皇室典範の特別措置法でなく、皇室典範そのものに退位の規定を入れよと力説する論者が少なくない。

しかし、その場合、皇室典範そのものに退位事由を入れるとして、単に高齢か心身の故障の場合だけ退位を認めるということだろうか。

その程度の規定だったら、たちまち別の事情に対応できないことになるから、その都度泥縄式に退位事由を追加していかざるを得ないこととなる。

それなら、別段、特別措置法をその都度定めることと大差がない。

高齢や心身の故障の場合に退位が問題になる都度、特別措置法の先例に照らし、その都度により国会の議決を得ることは、紛糾が生じるはずもなく、容易だからである。

が、あらゆる退位の事由を列挙すると、恣意的退位(政治の側からも天皇の側からも)の危険も高まってしまうのである。

そして、その退位事由を列挙する立法作業が現実にどれだけ余計な争論を巻き起こすか、論者にはあまり思いが到っていないないのではないかと思うのである。

というよりも、生前退位そのものに反対する論者は、退位の事由を定めることが恣意的退位を招くことを恐れているものと思われる。

だからこそ、生前退位を認めることそのものに反対し、それを回避するために摂政の設置でまかなうように主張していると思われる。

そして、生前退位反対論のもうひとつの根幹が、上皇と天皇の間での権威の分立を恐れる、という点である。

日本国憲法下の天皇には政治的権能(権力)がない。

だから、明治以前のような生前退位が生じても、「権力」の分立はおこらない。

しかし、「権威」の分立は起こりうる、というのが、生前退位反対論者の見解である。

こういった見解には、一理ある、と言える。

私は、退位した天皇は、公務からは全面的に身を引くべきであると思う。

現天皇と上皇が公務を分担するのは、望ましくない。

上皇が公務を望んでも排するくらいのルールを定めるべきであると思う。

公務を上皇が分担する、つまり一部でも関与すれば、上皇の回りに公務遂行スタッフが相当数つかざるをえなくなる。

そこには、公務という仕事に対する一種の縄張りや綱引きといった意識が生じるのは、避け難いと思われるからである。

天皇がカットしようとした公務を、上皇が、やはり自分がやる、と言ったらどうなるかを、考えてみればわかる。

天皇のスタッフと上皇のスタッフが公務遂行ラインとして併存するというのは、たしかに院政の悪夢の再来である。

言い方を変えれば、退位した天皇が公務からも宮中祭祀からも全面的に身を引いて、容喙もしないというルールが作れるのであれば、それでもなお生前退位そのものに反対するということにはならないように思われる。

今上陛下の公務量は明らかに異常な量であり、このような公務量を天皇自ら執り行うことを今後も続けていくことは、皇室制度の持続可能性に関わる。

皇太子の摂政就任期間は、大正天皇の際は約5年間であった。

が、今度摂政になればもしかするとそれが20年間になりかねないということは考えられないであろうか。

そのときに摂政が公務に耐えなくなるということもあるであろう。

そうすると皇太子は摂政を退任してただの皇太子となり、さらに次代の宮が摂政となって交替するのであろうか。

皇太子が今上陛下に先立ったらどうなるのか。

皇太子妃殿下は、皇后陛下になる機会もなく、その立場で皇族を統括したり、次代に範を示したり、公務などに臨む機会も失われる。

それで、次代への皇室の伝統の継承が円滑にできるのか、と懸念を、今上陛下が深刻に持たれて、皇太子が年を取り過ぎない間に皇位に就いて象徴天皇という立場を身をもって自覚して実践してもらいたい、と考えておられるであろうことは、もっともなことであると思う。

生前退位は摂政で代替できるという意見もあるが、現代の長寿化を考えると、ことは単純では無い。

なにより、80数歳までプライベートの時間も満足になくひたすら激務に従事し続けてきた天皇が、退位を希望して、残りの人生を皇太后と静かに過ごしたいと考えられているとしたら、それに対し、天皇は一般国民とは責務の重みが違う、といって、原則論で否定するのは、人としての素朴な心情にそぐったものではない。

欧州などの立憲君主制の王家の例を考えれば、退位による権威の二重化や分立といった事態を深刻に懸念するのは、神経質に過ぎる、というべきであろう。

我が身に照らして考えれば、辞めたくてもここまで無理に辞めさせてもらえないというのは、残酷ですらあると思う。

政治家や大企業の社長会長といった、よほどの社会的重責にある場合でも、さすがに引退させてあげればよいではないか、となるはずである。

こういった、国民の総意が納得するであろう、相当な高齢・健康といったもっともな理由があれば、特別措置法で今上陛下の退位を認めることに、目に見えた派生的悪影響とか不都合はないだろう。

むしろ特別措置法でなく皇室典範そのものに退位事由を記載するような改正を目指す方がよほど派生的議論と影響を生むように思われる。

そして、本来は、公務の軽減というベースを離れずに議論することがが、この有識者会議の一番の目的であるべきのように思う。

つまり、特別措置法で今上陛下の退位を承認し、合わせて、次代の天皇のもと宮内庁によって大胆な公務軽減を積極的に推進することが解決策として妥当、というのが、私の意見である。

なお、別の視点で、仮に今上陛下が生前退位して皇太子が皇位についた場合は、秋篠宮は皇太弟ではあっても皇太子になれない、東宮御所が使えない、東宮としての予算もつかない、という理由で、皇室典範そのものを改正すべきである、という意見もある。

その指摘には一理ある。

ただ、その解決は単に立法技術のレベルで簡単に実現可能なことである。

現行の皇室典範8条
「皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。」を、
「皇位継承第一順位の者を皇太子、皇太弟または皇太孫とし、皇太弟または皇太孫は皇太子に準ずるものとする」と改正すれば、ほぼ解決する。

この点についての改正であれば(生前退位後に生じる、皇族の身分関係の変動への対応が可能な改正についてであれば)、皇室典範そのものを改正してもなんら問題がないと思う。

というより、退位事由の規定は特別措置法による場合でも、皇族の身分関係の変動への対応については、立法技術として、皇室典範そのものを改正するほうがすっきりするように思われる。