共謀罪に反対する日弁連による国連立法ガイドの誤訳について

共謀罪に反対する日弁連による国連立法ガイド51項の論点について、話してみたい。

日弁連は、共謀罪に反対する理由として、

2006年9月14日付け意見書
https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2012/120413_4.html
において、

51パラグラフは非常に重要なことを述べている 「本条約は,世界的な対応の必要性を満たし,犯罪集団への参加の行為の効果的な犯罪化を確保することを目的としている。本条約第5条は,このような犯罪化に対する2つの主要なアプローチを同等のものと認めている。第5条第1項(α)(ⅰ)および(α)(ⅱ)の つの選択肢は,このように,共謀の法律 (conspiracy laws)を有する諸国もあれば,犯罪結社の法律(criminal association laws)を有する諸国もあるという事実を反映するために設けられたものである。これらの選択肢は,共謀または犯罪結社に関する法的概念を有しない国においても,これらの概念を強制することなく,組織犯罪集団に対する実効的な措置を可能とする 」。つまり,英米法の共謀罪(コンスピラシー)や,大陸法の参加罪(結社罪)を導入しなくても,犯罪防止条約第5条の要件を満たすことが可能であることを立法ガイドは認めている。

として、「国連犯罪防止条約を批准するのには、共謀罪、結社罪(=参加罪)のいずれも導入不要である」
という根拠として主張している。

共謀罪法案の提出に反対する刑事法研究者の声明
http://www.kt.rim.or.jp/~k-taka/kyobozai.html

でもなんと162名の学者や弁護士が、声明書中で、

本条約についての国連の「立法ガイド」第51項は、もともと共謀罪や参加罪の概念を持っていなかった国が、それらを導入せずに、組織犯罪集団に対して有効な措置を講ずることも条約上認められるとしています。

と述べている。

外務省は10年以上前からまったく反対の見解で一貫しており、国連の担当事務局に口頭で確認をおこない、

http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji_keiji35-1.html
なお、この点に関連して、「国連の担当事務局が作成している『立法ガイド』によれば、共謀罪と参加罪のいずれも設けないことが許されるのではないか。」との指摘がありますが、「立法ガイド」の記載は、共謀罪又は参加罪の少なくとも一方を犯罪とすることを明確に義務付けている条約第5条の規定を前提として、共謀罪を選択した国は参加罪を設ける必要はなく、参加罪を選択した国は共謀罪を設ける必要はないことを述べたものに過ぎず(「立法ガイド」を作成した国連の担当事務局も、我が国の照会に対し、このような理解が正しい旨回答している。)、この指摘は当たらないと考えています。

とこれまた明言している。

なお、アーカイブであるが、平成18年にも外部省は同じことを言っている。
http://archive.fo/lb8Qr

外務省と、反対派の日弁連&学者、どちらの訳が間違っているのであろうか。

私は、この日弁連や反対派学者の主張根拠たるこの訳解こそが、立法ガイドの大誤訳、であろうと考えている。

しかし、この大誤訳は、今回の共謀罪反対運動でも大々的に展開されていて、多くの弁護士や学者に広まっている。

2006年の日弁連意見書の見解に基づいて、弁護士や学者の多くが、この立法ガイド51項を理由にして、共謀罪の制定は不要であるという意見を表明されている。

衆議院法務委員会で2017年4月25日に京都大学の高山佳奈子教授が参考人意見を述べた際にも、立法ガイド51項を根拠に挙げて、共謀罪・参加罪どちらも導入しなくても国連犯罪防止条約の批准は可能であるという発言をされている。

しかし、国連犯罪防止条約の本文である5条が、共謀罪・参加罪のどちらかを導入するように義務付けていることは明らかである。

立法ガイド51項に、条約本文に反した、逸脱するようなことを認めているというのであろうか。

普通に考えれば、外務省の英文解釈が正しいと思われる。

日弁連の立法ガイドの訳解は、5条の明文に反した内容であることは明らかである。

それでも尚、立法ガイド51項にそう記されているから、共謀罪・参加罪のどちらも制定しなくてよいのだと、日弁連や反対派学者は主張するのである。

そこで、立法ガイド51項の英文の解釈を、ここで検討してみたい。

https://www.unodc.org/pdf/crime/legislative_guides/Legislative%20guides_Full%20version.pdf
22Pに該当箇所がある。pdfでいえば43ページ目である。

51. The Convention aims at meeting the need for a global response and at ensuring the effective criminalization of acts of participation in criminal groups. Article 5 of the Convention recognizes the two main approaches to such criminalization that are cited above as equivalent. The two alternative options of article 5, paragraph 1 (a) (i) and paragraph 1 (a) (ii) were thus created to reflect the fact that some countries have conspiracy laws, while others have criminal association (association de malfaiteurs) laws. The options allow for effective action against organized criminal groups, without requiring the introduction of either notion –conspiracy or criminal association –in States that do not have the relevant legal concept. Article 5 also covers persons who assist and facilitate serious offences committed by an organized criminal group in other ways.

立法ガイド51項は、5つの文章からなる。

問題は、第4文である。

The options allow for effective action against organized criminal groups, without requiring the introduction of either notion–conspiracy or criminal association–in States that do not have the relevant legal concept.

この文章を、日弁連や反対派学者は、「共謀罪も結社罪(参加罪)もどちらも導入しなくてもほかに効果的な措置を執っていればよいのだ」と訳解する。

外務省は、上記のとおり、共謀罪・参加罪のどちらかは義務だと訳解する。

私は、英文をぱっと読んで、外務省の解釈しか、とれなかった。

そこで、「どちらも不要説」の論拠をよくよく調べてみたところ、「without~either~or」構文だから「どちらも不要」だと言っているものがある。

「not~either~or」は、「どちらも何々でない」の両否定の意味のイディオムだから、「without~either~or」も両否定だ、だから共謀罪・参加罪どちらも導入する必要は無いのだ、というのである。

しかし実際の英文を見れば、「without~either~or」構文(イディオム)の一部だと日弁連がいう「or」は、二つの「-」に挟まれている。

もう一度よく英文をみてもらいたい。

エムダッシュが二つ入っている。

この横線は、長いハイフンのようであるが、エムダッシュ(em dash)という英語の記号である。

なお上記の引用の際には、文字化けしていたので、タイピングの流儀としてハイフン2つで書きなおしているが、原文をみればエムダッシュである。

以下のURLの方がエムダッシュであることがよくわかるかもしれない。

https://www.unodc.org/unodc/en/treaties/CTOC/legislative-guide.html

https://www.unodc.org/pdf/crime/legislative_guides/02%20Legislative%20guide_TOC%20Convention.pdf

エムダッシュは、カンマ、カッコ、コロンの代用として使われる。この場合は、どうみても、カッコである。なぜなら、

either notion

conspiracy or criminal association

だからである。

「いずれかの概念」の説明が「共謀(罪)か結社(罪)」であり、だからエムダッシュで囲われていることが明らかである

このエムダッシュの用法のネイティブの解説を検索してみた。

検索したところ最上位にヒットした、以下のサイトを見てみよう。

em dash
http://www.thepunctuationguide.com/em-dash.html

Depending on the context, the em dash can take the place of commas,
parentheses, or colons
(私訳)
「文脈によって、エムダッシュは、コンマ、カッコ、コロンに代用することができる。」

というものである。立法ガイド51項のエムダッシュがコンマやコロンの代用でないことは明らかであるから、カッコである。

さて、それでは、カッコ(Parentheses)の解説も同じサイトで見てみよう。

Parentheses
http://www.thepunctuationguide.com/parentheses.html

Whatever the material inside the parentheses, it must not be grammatically integral to the surrounding sentence. If it is, the sentence must be recast. This is an easy mistake to avoid.
(私訳)
「カッコの中がなんであれ、カッコの外の周囲の文章に文法的に統合してしまってはいけない。もし統合してしまったら、文章は作り直す必要がある。これは犯しやすい過ちで避けるべきものである。」

こうやってみれば、2つのエムダッシュ(=カッコの代用)に挟まれた「or」を、その外の「either」や、「without」に文法的に(gramatically)統合して(integral)書くのは、よく起こるイージーミスであり、絶対にやってはいけないこととなっているわけである。

となると、この第4文は、「without~either~or」構文ではないことが明らかである。

単に「without~either notion」であって、「いずれかの概念を導入していなくても」という意味、つまり、構文としては単なる「without」構文である。

なお、この私の分析に対して、想定される反論としては、

either notion

conspiracy or criminal association

だから、カッコ内をカッコ外に置き換えれば

without~either notion

without requiring the introduction of conspiracy or criminal
association
(without ~or 構文)

つまり、「without ~ or」構文だから、やはり、共謀罪・参加罪どちらも制定不要だという反論があり得るように思われる。

しかしそうすると、カッコの外の文章だけを読んだとき(without either notion)の場合と、カッコの内側の文章を外出しして置き換えた場合の(without conspiracy or criminal association)文意が、まるきり逆転してしまう。

つまり、この英文は、カッコ内をそのまま本文に置き換えてつなげてしまうと、カッコ内のorによって別の構文に変わってしまって文意がまるっきり変わってしまう、という英文なのである。

そんな訳が両立することはありえないわけで、カッコの内側の文章を外出しして置き換えて構文を別物に読み替えてしまうような訳が、誤訳なのである。

さらにくどくなるが、without~either構文も、文脈によっては、両否定と読めることも、一方を否定すると読めることもあるという指摘がありうる。

しかし、法律英語では、どちらにも読めるような紛らわしい表現は禁忌である。

そもそも、構文としては、

without requiring the introduction

である。

withoutが直接リンクする構造は「『導入を要求すること』なく」という構造で、あくまで「導入を要求すること」を否定しているのである。

withoutと、 of either notion とは、requireとintroductionを挟んでおり、修飾・被修飾関係では、ネストで二重に囲われている、2重に間接的な修飾関係にしかたっていないため、その離れたwithoutとeitherが一体でイディオムを構成するという読み方は不自然でかなり無理がある。

また、法律英語の世界では「either」(2つのうちいずれか)「either or both」(いずれかまたは両方)「both」(両方)はかなり厳格に使い分けがされている。

どちらも採りうるような表現を使えば、混同されると意味が逆転してトラブルになるからである。

もし、日弁連が主張するような「共謀罪・参加罪どちらかまたは両方を導入しなくても(許される)」(第3文でいう二者択一でなくどちらも導入しないという第3の選択肢を認める)と言う意味で英語を書くのであれば、

without requiring the introduction of either or both notions

という表現になるであろう。

あるいは、

with requiring the introduction of neither notion

になると思われる。

法律家の感覚としては、立法ガイドの読者(=各国の立法担当者)が、条約5条本文をみた上で、立法ガイド第3文までの文脈(二者択一を明言している)を読んで、第4文で either or both と書かれていない時点で、without ~ either を「両否定の意味にもどちらにもとれる」とか「両否定である」とは、およそ読まないはずである。

ちなみに、条約5条本文は、

Either or both of the following as criminal offences distinct from those involving the attempt or completion of the criminal activity

となっており、either or both すなわち、共謀罪か参加罪の「いずれかまたは両方」の犯罪化(未遂・既遂の罪とは別に)をおこなうことを義務付けている。

本文の書き方が明確なのである。

そのうえで、日弁連のような読み方ができるわけがない。

これは、論理学に裏付けられた、法律家としての文章の読み書き作法の問題である。

そもそも第3文で選択肢(option)は2つ(共謀罪・参加罪)であり、その2つがalternative(代替可能、択一的)と書かれていて、第4文は、第3文の言い換え、補足として、二者択一だから2つのうちのどちらか一方(either)は導入しなくても許容されますよ、と述べているだけなのである。

それを日弁連や反対派学者が言うように、どちらも導入しないでよい、となれば、それは第3の選択肢を認めるということであって、第3文の2つの選択肢という説明とまるっきり論理的に矛盾してしまっているのである。

第3の選択肢を認めるというのなら、第4文冒頭は、

The options allow for effective action

でなく、

The options allow for other effective action(s) than the options

と書くのが、通常であろう。

このように、これを両否定文と読むことが、英語としての文脈を読めていないことは、明らかである。

なお、第4文の「either notion」は明らかに単数形の可算名詞であるが、冒頭の日弁連意見書は、「これらの概念を強制することなく」と、「これら」と複数形で訳している。

どうやったら単数形を複数形に訳せるのか、理解に苦しむ。

「いずれか(一方)の概念を強制することなく」としか訳せないのを「これら」と複数形で訳しているのである。

反対派学者162名の声明でも、「もともと共謀罪や参加罪の概念を持っていなかった国が、それらを導入せずに」と、「それら」と複数形で訳している。

学問的正確性を重んじるはずの学者が162名も集まってなぜ立法ガイド51項を「それら」と複数形で書くのであろうか。

両否定であると学者たちが考えているのであれば「いずれも導入せずに」と表記するのが、法学者が集まって議論すれば普通にそうなるはずの、法学者としての論理的・学問的正確性というものであろう。

よくみれば、162名の刑事法研究者のなかには、何名かは、大学教授でなく弁護士が混じっている。

この刑事法研究者の声明の起案者が弁護士で、日弁連2006年意見書の「これら」を「それら」とちょっと表現を変えただけだから複数形で平仄が揃っている、ということだとすれば、説明はつく。

いずれにしても、このような文章読みをなんの疑問にも思わず喧伝するというのは、残念と言わざるを得ない。

結局のところ、日弁連の大誤訳が、ほとんどの弁護士の認識をミスリードし、マスコミをミスリードし、学界にすら少なからずミスリードを招いている、といってよいと思われる。

なんとなくであるが、共謀罪反対を唱える弁護士の誰かが、エムダッシュの使い方を見落として、この第4文は「without~either(~or)」構文だ、と言い始めたのが、この大誤訳の始まりなのでは無いかと思われる。

そうしたら、尻馬に乗って、周りの弁護士がそう言いだした。

そう言われて読んだら、そう読めなくもない、という人も出始めてしまった。

翻訳家にも見せたら、そう言われて読んだらそう読めるね、という人までも出て来てしまった。

法律家や日弁連までそういうのだからと、原文を吟味せず受け売りで主張する人も出て来た。

その話が拡散して、今のように学者の間にまで拡がり、このような誤訳に基づいた声明に、名前を並べる学者が162名も出るという事態になってしまったのではないだろうか。

外務省も、上記に引用したアーカイブで(下記で再度URLを掲載しておく)、実際に10年前にも国連の立法担当事務局に問い合わせて、立法ガイドの解釈は外務省の見解が正しいという回答を得ている。

http://archive.fo/lb8Qr

また、念のため、「立法ガイド」を作成した国際連合薬物犯罪事務所(UNODC)に対してご指摘のパラグラフの趣旨につき確認したところ、UNODCから、同パラグラフは共謀罪及び参加罪の双方とも必要でないことを意味するものではないとの回答を得ています。

というものである。

というのに、それすらまるで聞く耳を持たないで、立法ガイド51条の手前味噌な誤訳に基づいた解釈を、共謀罪不要論の根拠として反対の理由に掲げ続けているのが、日弁連と、その受け売りの反対派学者の声明書である。

考えてみれば、外務省仮訳を誤訳と言い張るのは、日弁連や、共謀罪反対ありきで結論が決まっているような一部の弁護士の論考である。

学界において、立法ガイドの訳について両説を検討したうえで外務省訳が誤訳であると断じたような論文というのはほぼ見当たらない。

仮に学者が少し調べれば、国連の立法担当官の見解を外務省が確認したと言っていることはすぐにわかるので、筆が止まってしまって、それ以上外務省訳が誤訳であるなどと論難するような論文が書けるはずはないからである。

しかし、そんな学者も、以前からの議論をよく知らないまま、受け売りで声明書に名前を連ねるだけならできてしまう、ということであろう。

そして、どうやら、日弁連は、この10年間、一度も、国連の担当事務局に正式な文書で立法ガイドの解釈を問い合わせることもしてこなかったようである。

日弁連が仮に立法ガイド51項について問い合わせたら、外務省訳と同じ答えが返ってくることがわかっているから、問い合わせていないのだろうと思われる。

野党までが、この日弁連の誤訳を振りかざして、共謀罪・参加罪どちらも導入しなくてもよいという根拠にして、10年前も猛反対を繰り広げた。

外務省が国連事務局に問い合わせた内容が間違っているというなら、議員や政党として書面で照会すればよかったはずだが、この10年間、問い合わせもしてこないで、十年一日のごとく日弁連の誤訳の受け売りを続けていることも、ミスリードを拡大していると思われるところである。

この度の十年一日のごとき共謀罪反対論は、まずもって、日弁連や反対派学者の英文解釈のレベルの問題として再考しておくべき問題のように思われる。

あるいは誤訳の受け売りの連鎖というべきか。

残念ながら、外務省の方が英文解釈のレベルは高かったというべきか。

外務省はそもそも英語が本職の実務家集団で、ネイティブがあふれかえっていて、条約英語は最たるエキスパートなのであるから、当然といえば当然ではあるけれども。

外務省からすれば、条約英語を「当たり前」に読んでいるだけだから、それ以上にくどくどしく説明もしないわけである。

そこを、「誤訳」も100回言えば「正訳」になるとでも思っているかようなミスリードに、ほとんどの弁護士も、マスコミも、学者も、国会すらも翻弄されている、という構図が見えてくる。

日弁連会員の一人として、日弁連意見書の価値も地に堕ちてしまったという残念な思いを感じざるをえないところである。

 

(追記)

平成29年5月16日の衆議院法務委員会

2:40:00ころ

日本維新の会の松浪健太議員の質問で、同議員は

「我々から外務省にヒアリングしたところ、立法ガイド51項についての国連からの(共謀罪・参加罪どちらか導入が必要という解釈についての)回答をこれまでどうやって確認していたのかと聞いたところ、口頭だ、といわれたので、外務省から国連に書面で口上書をもらうことになり、この(法務)委員会の中盤で、国連の口上書の仮訳ができあがってきた。それによれば、第3のオプション(共謀罪・参加罪どちらも導入しない選択肢)はばっさりと切られている」

旨、述べられている。

つまり、書面による国連からの正式回答として、日弁連の2006年意見書、2012年意見書のように、立法ガイド51項を、「共謀罪・参加罪どちらも導入しないでよい。第3のオプションが採れる」と和訳するのは、間違い、だということで決着がついたようである。

ただし、この国連事務局からの口上書(回答)の仮訳については、まだマスコミは報道をしていないようである。

国際組織犯罪条約が、参加罪を導入しない限り、長期4年以上の犯罪について共謀罪を導入することを義務付けている、という結論は、もはや動かない。

それが世界標準の刑法の理論と実務の状況なのだ、という認識からスタートしなければ、すべての反対論はただのミスリードに過ぎないと思われる。

本来の争点は、長期4年以上の罪であっても、過失犯類型は除外できるから除外するであるとか、立法事実がないような(国内外の組織犯罪集団が遂行することはないと思われるような)犯罪類型を除外することができるなら除外するといった議論を尽くすべきなのであるが、残念ながら、それ以前の空虚な論争に費やされている。

残念ながら、ここまでの論戦は、大半が日弁連発のミスリードに時間を空費してきたというのが実際のところのように思われる。

実は、欧州はじめ世界の大半といっていい国で導入されている参加罪(犯罪的結社への参加)は、犯罪組織への参加の段階で犯罪が成立する。

一方で日本のテロ準備罪(共謀罪)は、諸外国の共謀罪と比べると極めて成立範囲が狭く、「組織的犯罪集団の組織の活動として、実行するための組織により行われる」「犯罪を計画し」「その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われ」なければ犯罪は成立しない。

つまり、事実上、犯罪組織の活動に加わりかつ共謀しかつ準備行為に至ることが必要となっており、諸外国に比べて著しく限定的・抑制的な場合にしか共謀罪が成立しないものとなっている。

比較法的にいえば、今回のテロ準備罪が成立しても、日本は、世界的にも珍しいくらい、組織的犯罪集団への処罰に抑制的な、犯罪者に甘い国、という評価になるだろう。

国際組織犯罪防止条約の要請を満たし、相互主義的にどちらの国ででも処罰可能として、情報交換体制と、犯罪人引渡協定の整備を進め、海外で犯罪を遂行した組織的犯罪集団が日本国内でマネーロンダリングする犯罪収益を没収して、海外に引き渡し、被害回復に役立ててもらうのは、日本の国際的責任である。

その相互主義による見返りとして、はじめて、海外で没収された日本の組織的犯罪集団の犯罪収益が日本に返還され、被害回復に役立つのである。

適用罰条を外国と同レベルに整備して、犯罪人を日本に引き渡してもらうばかりでなく日本も犯罪人を外国に引き渡す。それが相互主義である。

犯罪収益を日本に返還してもらうばかりではなく、日本からも返還してあげなければならないという姿勢が、相互主義である。

反対論こそ正義であるかのように声高に主張する論者には、外国の目から日本をみた相互主義の視点が全く感じられない。

ガラパゴス、というを超えて、エゴイスティックに感じるのは私だけであろうか。

テロ準備罪の適用罰条をひたすら少なくするのが人権擁護にとって絶対善であるなどという、間違った先入観に基づいた立論を、多くの弁護士やマスコミ、学者が当然のように語ることに、違和感を禁じ得ないところである。

英語力が低すぎるから井の中の蛙でミスリードに引っかかってしまう、そしてガラパゴス、果てはエゴイスティックというのは、いかがなものであろうか。

西村幸三

lawfield.com

京都・烏丸三条にある法律事務所を運営。ニュース・法改正・裁判例などから法務トピックを取り上げていきます。