孝行和讃

西村法律事務所のWebサイトのタブ「珠玉のことば」https://www.lawfield.com/proverb.htmlに、私が心の拠り所とする書籍や心に刻み込まれた文章をアンソロジーとして集めているのでその中から抜粋して紹介する。

孝行和讃は 江戸時代の文化九年(一八一二)刊のいわゆる往来物あるいは道歌といわれる教訓本で、宣契(せんけい)上人という僧侶が作った和讃である。

インターネット上でHTMLで「孝行和讃」を読むことはおそらくできず、このアップがはじめてのことになるかもしれない。

画像データとしては、以下に収録されているものがよいだろう。

国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/917662/82?tocOpened=1
「諸佛讃嘆高僧鑽仰 佛教各宗 和讃集」
233頁~238頁

「孝行和讃」は、親孝行の道を説き、神仏をうやまい、仏道に務めるべきことを説く。

発刊後、たちまち全国に流布され大流行し、多くの著者が様々に改訂して、異種本の「孝行和讃」が多数発刊された。

それほど著名であったにもかかわらず、孝行和讃は、Wikipediaにも載っておらず、もはや現代では忘れ去られたというべきもので、存在を知る人も殆ど無い。

孝行和讃の趣意は、親孝行の道は、神仏を敬い、我が身をみずから律して正しい道を歩み、努め励み、その自然な結果として、親に喜んでもらうことであり、子供を善く育てあげることであるというものである。

決して親孝行を強制するものではなく、人としてあるべき正しい道を実践した先に親孝行があるという論旨展開である。

「孝行」は、儒学で中心的な徳性とされるものである。

「神」「仏」を尊ぶことを説く。

それを僧侶が記している。

つまり、神仏習合のもと僧侶が儒学の四書五経の手習いも子供たちに教えていた江戸時代ならではの道徳書であり、日本近世における総合的な全人格教育の集大成というべき教訓書であろう。

和讃の美しいリズムに拠って、じっくり読んで欲しい。

明治の神仏分離以降薄れ、さらには現代人が忘れ去った日本の「孝」の理念がそこにはある。

 

孝行和讃

 

それ人間と生まれてはまず孝行の道を知れ

 

親に不孝のともがら(輩)は鳥けだ物(獣)にも劣れりと

 

古人は恥(はずか)しめ置かれたり

 

其孝行のおもむき(趣)は

 

おや(親)の心をよろこばせ

 

苦労を掛(かけ)じと慎しみて

 

遊所徘徊 遊山ごと 大酒口論人あや(殺)め 博奕徒党控訴(=強訴)せず

 

総て憲法法律も 犯(そ)むかぬようにあひ守り

 

朝早くおきおそくねて

 

それぞれ家業怠らず

 

所ろの役人年上の 人をあがめてかろ(軽)しめな

 

兄をうやまい弟を 恵みて親類睦まじく

 

あ(悪)しき人には遠ざかり 益ある友をした(慕)ふべし

 

婚礼するには其容儀 里の貧富にかかわらず

 

おやに孝行ある人を 求めて宿(やど=宿世)の妻とせよ

 

普請諸道具き(着)るものも 身の分限を顧みて 奢を慎しみ倹約し

 

か(借)りたるものを早や返し なるたけ借財せぬように

 

心にかけて道ならぬ 利得(りどく)をほしがることなかれ

 

女子(じょし)は嫁入りする先の 姑しうと(舅)を父母(ちちはは)と

 

思ふてあつく孝行し

 

りんき(悋気)嫉妬を慎しみて 夫に貞節怠るな

 

もし先妻の子があらば おろそかにすな

 

幼な子を 後に残してゆく人の 永き別れの悲しさは

 

いか計(ばか)りぞと思ひやり 真と(まこと)の母になりかは(代)り 深く憐み育つ可し

 

親子兄弟よめしうと 夫婦の間やは(和)らぎて 怒りののし(罵)る事なきは

 

いとも目出度(めでたき)事ぞかし

 

幼き時はふたおや(両親)を 暫(しばし)がうちも離れじと

 

慕ひし物をつまや子の 愛に引かれて いつとなく 疎(うと)く成(なり)ゆくうたて(転=無常)さよ

 

我子をあわれ(憐)む心もて 親の慈悲をも推(おし)はかり

 

子をもつ人は分けてなほ 父母に孝行励むべし

 

また奉公をする人は 主人と親と同様に

 

かげひなたなく敬ひて 其身悋(おし)まず使(仕)ふべし

 

もし父母がおろ(愚)かにて 訳(わけ)なく己れを憎むとも

 

わが孝行の足らねばと 自らせ(責)めてつゆほども

 

親を怨むることなかれ

 

父母に孝行する人は 子孫の栄へ(さかえ)も思ふべし

 

家の繁じょう(繁昌)為る(する)せぬは 子の善悪(よしあし)によるぞかし

 

子をよく育(そだ)て上(あぐ)るには

 

常々親のなすわざ(業)が 好(よけ)れば子も善(よく)なるものぞ

 

如何程きびしく叱りても 親の身持が悪しければ

 

自(おの)づと子供も不埒なり

 

とはいへたとひ父母(ちちはは)が 不道放埒なりとても

 

子はまねをせず身を修め おり(折)を見合わせ意見して

 

正しき道に誘い入れ 親に悪名とらせなよ

 

もし父母がのち(後)の世を ねが(願)ふ心をおこさずば

 

朝な夕なに仏神(ぶっしん)の 冥加を深くこひねがい(懇い願い)

 

よりより勧め誘(いざな)ひて 仏の道に入らしめよ

 

両親先祖の追善は そのほどほどに従ひて

 

供仏(ぐぶつ)施僧(せそう)の善をつ(積)め

 

人目をかざ(飾)らず信実に 菩提の為めに回向せよ

 

手(た)向けの誦経(じゅきょう)念仏を 僧に頼みて足れりとし

 

自らせぬは粗略なり 成(なる)たけ自身も務むべし

 

親の存命せしときに 何ほど孝行ありとても

 

死しての後の追善を おろそかにする輩(ともがら)は

 

孝を尽すに非ずとは 八幡宮の託宣ぞ

 

遠きを追ひて懇(ねんご)ろに 親に孝行ある人は

 

神も仏もあはれ(憐)みて 常に守らせ給ふゆえ

 

其身も安く子孫まで 余慶を受(うく)ることぞかし

 

新明仏陀せいけん(聖賢)の 教(おしえ)を守り孝行を 一期(いちご)怠ることなかれ

西村幸三

lawfield.com

京都・烏丸三条にある法律事務所を運営。ニュース・法改正・裁判例などから法務トピックを取り上げていきます。