(1)から続く。
6.なぜ10回念仏を唱えれば極楽浄土に往生するのか。
「南無阿弥陀仏」と10回念ずることを1回やればそれを一念という。
親鸞の師であった法然は、毎日六万遍「南無阿弥陀仏」を唱えたといい、浄土宗ではその影響から「多念」を尊ぶ向きも多い(一方で、浄土宗でも、大無量寿経における第18願の論理的帰結として、一念で往生は確実に定まる、という考えを採る学者・僧侶ももちろん多い)。
一方で、親鸞は、一念で極楽への往生は定まることをはっきり強調していた。
つまり、領解文に言う「たのむ一念」すなわち「一念で極楽往生することを信じる」ことは、親鸞の信仰のコアの一つであり、信仰告白の冒頭におかれるにふさわしい。
尚、領解文で、もっとも冒頭に来るのは、「雑行雑修自力のこころをふりすてて」である。
これは、大無量寿経から法蔵菩薩の誓願の第18願だけを「選択(せんじゃく)」した法然の救済の論理によっている。
法然は、大無量寿経・観無量寿経の教説のうち、救済方法として、口称念仏という一点だけをエッセンスとして抽出した。
そして、仏道の修行を難行(他宗の採る修行。浄土信仰でも観想念仏などの、口称念仏以外の方法)と易行(口称念仏。南無阿弥陀仏と唱えること)に分けて、一切の難行をしなくてよい(捨ててよい)ことを勧めた。
すなわち、口称念仏をもっぱらに唱えていれば、もっとも確実に極楽往生できると説いたのである。
これは、法然の「選択(せんじゃく)」であり、法然の浄土教理解のエッセンス・核心であった。
この法然の浄土信仰理解を、そのまま親鸞も採った。
そして、一念によって極楽往生が確定した後は、本来は念仏を唱えることは不要になるはずである。
法然・親鸞の時代もそれはモラルハザードを招くとして浄土真宗外からの批判として問題視された点ではあった。
それでも、なお南無阿弥陀仏を繰り返し唱えるべきことの理由として、親鸞は、一念で極楽往生は確定するといいつつ、「御恩報謝」のため、救済された恩に報いるために念仏を繰り返すのだ、と説くのである。
師である法然は、一念で往生が確定するといいながら、自らは多念、すなわち不断の念仏行を実践している。
そして、法然は、一念説、多念説、いずれに偏るべきでもないとして、それ以上の二者択一的な議論を避けている。
言ってみれば、議論する意味が無い、十難無記(どちらかを議論することが意味のないどころか修業に役立たずむしろ害になる形而上学的議論)の類いと考えていたと見られる。
多念は、「心から極楽浄土に生まれ変わりたいと願って10回南無阿弥陀仏と唱える」うちの、「心から極楽浄土に生まれ変わりたいと願っているか」についての確信を深めるためには、適している。
おそらくは法然にとって多念とは、阿弥陀仏の救済を思い起こし、救済を確信するための確認作業という性格だったのである。
そして、口称念仏以外の難行では、さらに、救済の確信はおよそ得られないから、「難行をやる必要は無い」と、法然は説いたのである。
一念で極楽浄土への往生が確定しているといいながら、法然も親鸞も、南無阿弥陀仏の念仏を唱え続けることを自ら実践し、周囲にも勧めており、それが矛盾かのように問題とすることは無かった。
一念か、多念か、という二者択一で教義上の議論を招くことは、法然も親鸞もおよそ採るところではなかった。
そして、親鸞は、一念で極楽浄土に行くことは確定する、多念を繰り返す必要は無い、あとは南無阿弥陀仏を繰り返すとしても、往生が確定したことへの感謝から唱えるのだ、また、阿弥陀仏の力の作用(他力))で往生確定後も唱え続けるのだ、と整理して、議論を打ち切るのである。
こうやってみると、領解文は、親鸞の採る教義のエッセンスである以下の4ポイントを、極めて適確に押さえていることがわかる。
(1)他の大乗仏教諸派が勧める救済方法は、難行であり、(極重悪人を含め)万人が確実に救済されると保証されるものではない。
(2)易行である口称念仏をすれば極楽往生が確実であり、(理解や実践が難しい)他の仏道修行はやらなくてよい(やっても確実に救われるかがわからない)。一心に、南無阿弥陀仏を唱えなさい。
(3)南無阿弥陀仏を10回唱える口称念仏を1回やれば、極楽往生は約束される。
(4)それ以降に口称念仏をするのは、報恩感謝からすることである。
というのが、親鸞の教説のエッセンスといえるだろう。
7.蓮如の「末代無智」の御文
蓮如という人物は、偉大な布教家であり、一代にして日本最大の教団を作り上げた中興の祖である。
近年は、しばしば、その宗勢を著しく拡大した経営才覚、経営者としての成功面のほうが強調され、注目されるようになっているように思われる。
しかしながら、蓮如の、教義面における真摯な理解と、布教のエッセンスの正鵠を得た抽出、伝道、そのわかりやすさには、およそ非の打ち所がない。
つまり経営者である以上に、偉大な宗教人としても卓越していたことに、もっと注目されるべきであると思う。
もっとも既に、本願寺の僧侶や門徒にとっては、蓮如の「御文」は、大無量寿経以上にバイブル(御聖教(ごしょうぎょう))として日常読み慣わされ、親しまれている。
蓮如の、浄土信仰、浄土経典(特に大無量寿経)に対する理解、それを選択・抽出した法然・親鸞の説に対する理解は、透徹した明解さがあり、およそ正鵠を失うところがない。
蓮如は、教義のエッセンスを「御文」という短い手紙にして、各地の末寺に送り、その御文を、講(寺での集まり)において寺僧や門徒が読みならわしたのだが、その御文が、どれもこれも、実に浄土信仰のエッセンスの正鵠を付いているのに、明解であり、庶民にもわかりやすく、しかも感動的である。
特に優れているのは、やはり以下の「末代無智」の御文である。
————-
末代無智の在家止住の男女たらん輩は、心を一にして、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、更に余の方へ心をふらず、一心一向に、「仏助けたまえ」と申さん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、必ず弥陀如来は救いましますべし。
これ即ち第十八の念仏往生の誓願の意なり。
かくの如く決定しての上には、寝ても覚めても命のあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。
————-
「白骨となれる身なり」の御文も、見事である。
————-
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそ儚きものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ萬歳の人身をうけたりという事を聞かず。一生すぎやすし。今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露より繁しと言えり。
されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬるときは、六親眷属あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれといふも、なかなか疎かなり。されば、人間の儚き事は、老少不定のさかいなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ
————-
「白骨」の御文は、無常観と、近親者を亡くした者の哀切を詠む。柿本人麻呂の数々ある挽歌を詠むときのように、痛切に心を打つ。
一遍(時宗の宗祖)の「別願和讃」も傑作であり(一遍は法然の曾孫弟子であり、法然の理解する浄土信仰を承継している)、無常観と人の死の哀切を詠む挽歌の系譜を引いているが、蓮如の「白骨」の御文はそれに比肩する。
一遍 「別願和讃」
https://blog.lawfield.com/?p=920
さて、こういった御文は、浄土真宗本願寺派か真宗大谷派の家庭では、仏事において、僧侶が、「正信偈」のあとに、読まれる。
つまり、浄土真宗本願寺派・真宗大谷派の門徒であったり、門徒で無くても浄土真宗本願寺派・真宗大谷派の法要に出たことがあるものであれば、この御文を僧侶が唱えるのを聞いたことがある者は多いはずである。
なお、「正信偈」というのは、「帰命無量寿如来~」で始まる偈文である。
親鸞作の偈(仏教漢詩)であり、教行信証の「行」の巻の末尾にある偈である。
そして、浄土真宗の「在家勤行集」に、「正信偈」の後に掲載されているのが蓮如の御文のうちの特に選りすぐりの数通で、「末代無智の~」は、その御文数通のうち、冒頭のものである。
この、末代無智の御文のエッセンスは、他の御文とも主旨共通であり、以下の4点にまとめられる。
(1)仏道が廃れていく荒れ果てすさんだ世の中で、出家できずに在家にとどまる人は、一心に阿弥陀仏を信じて口称念仏をすること。この易行以外の難行・雑行はやらなくてよい。
(2)人間の自力で成仏するのでなく阿弥陀仏に救ってもらって極楽に往生するのである。
(3)どんなに罪や業(ごう)が重く深いものでも、阿弥陀仏は、極楽往生させてくれる
(4)それが、大無量寿経で、法蔵菩薩が、万人が幸せになれる国土(極楽浄土)を作るとして立てた48の誓願のうちの第18願「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。」の意味である。法蔵菩薩がこの誓願を達成して作り上げられたのが極楽浄土であると大無量寿経には書いてあるから、心から極楽浄土に産まれ変わりたいと願えば、10回念仏すれば必ず極楽浄土に生まれ変わることができる。
というものである。
つまり、蓮如は、
・大無量寿経の中の法蔵菩薩の誓願の第18願(念仏往生の誓願)が極楽往生の根拠であること
・法然がもっぱらその念仏往生の誓願だけを選択(せんじゃく)したこと
・自力では無く他力で極楽往生すること
・口称念仏以外の雑業はやらなくてよいこと
という立宗の主旨を、明解に整理していることがわかる。
浄土宗・浄土真宗・時宗、その他、阿弥陀仏信仰(極楽浄土信仰)の救済の根拠は、実は、大無量寿経の冒頭部分で、法蔵菩薩が宣言する48種の誓願とその達成を信じることにある。
法蔵菩薩が「あらゆる衆生(人間畜生ほか六道輪廻に属する者)が幸せに暮らせるこのような素晴らしい国土を作る」と宣言して、無限の時間、利他行・菩薩行を重ねて、その48の誓願を達成して、実際に極楽浄土を作られたことを、信ずる、というのが阿弥陀信仰の本質である。
この法蔵菩薩の誓願の達成を信じないことは、キリスト教徒がキリスト教の死後の復活を信じないということと同じで、阿弥陀信仰・極楽浄土を信じたことにならない。
そして中でも、法然・親鸞は、法蔵菩薩の誓願達のうち、極楽往生することの確信を、第18願にもっぱら依っている。
そして、法蔵菩薩の誓願のうちの第18願を「本願」と呼称する。
本願寺の呼称も、この法蔵菩薩の第18願に由来する。
これは、口称念仏が、もっとも極楽往生を確実にしてくれるからであり、また、誰でも極楽往生の確信を持つことができるからである。
人は、殺生(人間というだけでなく動物や植物)をせざるを得ない。それは罪である。
仏教の煩雑な戒律を守れるわけではない。それも罪である。
この世のルールや法律を全て正確に守れるわけでもない。それも罪である。
生活に困窮して盗みなどの罪を働くものもいる。
仮に普通に暮らしていても、あらゆる人は、実は罪から逃れられない。
そういう人が、おしなべて確実に救済されるには、口称念仏で第18願による救済が最も確実であるから、それを選択したのが、法然であり、それを承継する浄土宗・浄土真宗・時宗などの諸宗派、また親鸞・蓮如の教説なのである。
法然は、浄土三部経を全体として重んじつつ、念仏行としては、口称念仏のみを「選択」し、代表的な著書「選択本願念仏集」をしたためた。
親鸞は、自説を「法然の言っていることと一字も異なる事は無い」と断言していた。
法然の教説の根拠は大無量寿経・観無量寿経に拠っており、そこから口称念仏を「選択」しており、親鸞も同様であるから、当然、もとをたどれば同じになる。
現代の研究者中で、親鸞が法然と異なる説を採っているとされるものに悪人正機説がある。
この悪人正機説も、法然は採用していることは、明らかである。
大無量寿経の第18願は、全体としては、
「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪(父殺し、母殺し、僧侶殺し、仏のみを傷つける、教団を分裂させる)を犯したり、仏の教えを謗そしるものだけは除かれます。」
となっていて、五逆の罪を犯した者と仏法を謗る者は極楽往生できないとする。
しかし、法然は、五逆を犯したものは極楽往生にいけないのかと問われ、はっきり「行ける」と断言する。
観無量寿経では、五逆を除くとなっていないからである。
実際、観無量寿経において、極楽浄土の下品下生には、五逆十悪の者も、口称念仏により生まれ変わることができると明記されている。
観無量寿経という経典は、阿闍世(アジャゼ)王が父の頻婆娑羅(ビンビサーラ)王を幽閉し、ビンビサーラが病に苦しみ釈迦に助けを求めた際に、釈迦が、あなたも阿弥陀仏が救済し極楽往生に連れて行ってくれるという契機から、極楽浄土の美しく幸せな様子を説く教典である。
大無量寿経よりも観無量寿経のほうが救済範囲が広くなっていて、そこは浄土経典間の矛盾ともいえるのであるが、法然は、救済範囲については(ある意味ご都合主義的だが)観無量寿経の広い方を採用しているのである。
それが、蓮如の末代無智の御文の「たとい罪業は深重なりとも」に繋がるのである。
蓮如は、大無量寿経の第18願といいつつ、観無量寿経や法然の説・そして親鸞の悪人正機説までを包摂して、この末代無智の御文に、教義のエッセンスを凝縮しているのである。
8.大無量寿経が仏教の潮流(特に法華経と華厳経)に与えた広範な影響について
「大無量寿経」は、大部な経典といわれ、南無阿弥陀仏と唱える宗派に属する信徒にすらも、なかなか読まれることもない。
しかし、ここまで読み進められた者であれば、大無量寿経のエッセンスを理解し、また読み進むことは簡単である。
大無量寿経は、法蔵菩薩が全ての人々が幸せに暮らせる国を作ると48の誓願を立て、利他行を殆ど無限の時間積み重ね、ついにその誓願を全部達成して、阿弥陀仏(仏=如来)になった、その阿弥陀仏の作った国土が、極楽浄土である、という物語が、経の前半1~2割ほどを占める。
その1~2割を読むことは難しいことではない。
そして、非常に感動的な内容である。
なお、ダイジェストにしたものを、私は要約している(浄土の荘厳な描写等は省いているので短くなっている)ので、そちらを参照してもらってもよい。
西村法律事務所 珠玉のことば
https://www.lawfield.com/proverb.html
おそらく、浄土信仰を採った多くの宗教家は、この法蔵菩薩の物語の美しさと気高さに感動し、浄土信仰に帰依したものと想像する。
なぜなら、私も、この法蔵菩薩の物語には、読んで本当に感動したからである。
読んでその瞬間、法蔵菩薩の利他行に感動して「法蔵菩薩に帰依することにしよう」と思ったほどである(ニアリーイコールである「阿弥陀仏」への帰依ではなく(笑))。
大無量寿経で描かれる法蔵菩薩の誓願・利他行・そして成仏(如来となり浄土を完成する)の過程は、大乗仏教における共通要素である「菩薩道」のありかたを本格的・具体的に描いた、もっとも美しく感動的な経典といっても過言ではない。
この阿弥陀如来は、大乗仏教が勃興し始めた紀元前1世紀ころには阿弥陀三尊像として出土が確認されるほど、阿弥陀信仰は古くから存在していて、漢訳でも紀元2世紀以来、異訳本として「大阿弥陀経」「平等覚経」「大無量寿経」などがあり、チベットに伝わるサンスクリット語訳「大無量寿経」も存在する。
そして、阿弥陀仏は、時代を下るほど、仏教の諸経典の中に占める位置としても、様様な経典において重きを占めるようになる。
例えば、法華経でいえば、白眉の一つとされる第二十五品の普門品(観音経)において、鳩摩羅什訳の漢訳の妙法蓮華経では、主人公は観音菩薩であって、阿弥陀如来は普門品(観音菩薩品)には登場しない。
しかし、別バージョンのネパールに伝承したサンスクリット版「法華経」では、なんと、観音菩薩品の一番最後の部分で、阿弥陀如来が観音菩薩を脇侍に従える如来として、讃えられて華華しく登場してくる。
岩波文庫「法華経」(下)267ページ以下
—————–
世自在王仏(ローケーシュヴァラ=ラージャ)を指導者とした僧の法蔵(ダルマカーラ)は、世間から供養されて、幾百劫という多年のあいだ修行して、汚れない最上の「さとり」に到達してアミターバ(無量光。阿弥陀)如来となった。
観世音(アヴァローキテーシュヴァラ)は阿弥陀仏の右側あるいは左側に立ち、かの仏を扇ぎつつ、幻にひとしい一切の国土において、仏に香を供養した。
西方に、幸福の鉱脈である汚れない極楽(スカーヴァティー)世界がある。
そこに、いま、阿弥陀仏は人間の御者として住む。
そして、そこには女性は生まれることはなく、性交の慣習は全くない。
汚れのない仏の実子たちはそこに自然に生まれて、蓮華の胎内に坐る。
かの阿弥陀仏は、汚れなく心地よい蓮華の胎内にて、獅子座に腰を下ろして、シャーラ王(ヴィシュヌ神)のように輝く。
彼はまたこの世の指導者として三界に匹敵する者はない。わたしはかの仏を讃嘆して、『速やかに福徳を積んで何時のように最も優れた人間(仏)となりたい』
——————
いかがだろうか。法華経の普門品が、最後の最後で、観音菩薩が脇侍として阿弥陀如来を讃嘆する場面となっていて、いわば観音経の末尾の主人公が阿弥陀仏に突然入れ替わっているようなものなのである。
漢訳の妙法蓮華経だけ読んでいる者には、これが本当に法華経か?と思うであろう。
大無量寿経の先行経典(古い異訳本。2世紀の支婁迦讖または支謙の訳)である「大阿弥陀経」においては、阿弥陀仏は、無限の時間の経過のあとで入滅するが、(脇侍・弟子である)観音菩薩がそのときに如来となって極楽浄土を継承する(さらに観音菩薩の後は(もう一人の脇侍である)大勢至菩薩が継承する)とされている。
—————–
https://core.ac.uk/download/pdf/291803144.pdf
辛嶋静志 訳注
『大阿弥陀経』 訳注(五) 仏教大学総合研究所紀要 第11号 91P~92P
「阿弥陀仏がやがて完全な涅槃に入れば,●楼亙(観音)菩龍がすぐに仏になる。さとりへの智慧を把握し,教えることを把握して,世間や八方上下で神々や人々・飛ぶ虫・這う虫を(輪廻から)救済し,さらに皆に仏の涅槃への道を得させる。そのすばらしい福徳は,偉大な師,阿弥陀仏と同じであるはずだ。無数劫,無数劫,数え切れないほどの劫の間留まって,偉大な師(阿弥陀仏)のした通りに行った後,やっと完全な涅槃に入る。
その次に摩訶那鉢(大勢至)菩薩が仏になる。智慧を把握し,教えることを把握して,(衆生を輪廻から)救済することの福徳は,偉大な師,阿弥陀仏と同じであるはずだ。無数劫のあいだ留まっても,やはり完全な涅槃に入らず,次々と(教えを)伝えてゆく。教えはとても輝き,国土はとてもすばらしい。
(阿弥陀仏の)法は,このように断絶することなく,極まることがない。」
——————
一方で、観音信仰は、法華経にも、形成過程の後期に、普門品(観音経)として取り込まれた。
観音菩薩が、法華経の後半の第25品としていささか唐突に登場しているのは、法華経形成過程の最後に、普賢菩薩(法華経末尾の第27品「普賢菩薩品」)などとともに取り込まれたからである。
このように観音菩薩は、大乗仏教の中でも般若経典に次いでもっとも古層に属する法華経信仰・浄土信仰のいずれでも、重要な構成要素となっているのである。
さらにいえば、華厳経である。
華厳経には、漢訳の60華厳、80華厳、40華厳(40華厳は華厳経全体でいうと後半の入法界品のみの版。サンスクリット語訳もある)の3種類が存在する。
華厳経は、全訳を現代語訳で読むことはできないが、国会図書館のデジタルアーカイブにおいて、戦前に「国訳大蔵経」の一環として「国訳華厳経」として出版された本(60華厳。1800ページくらい)がPDFで読めるようになっている。
漢字書き下し文・旧仮名遣いであるが、仏教用語を理解していれば、だいたい読める。
一方、40華厳については、入法界品の部分についてサンスクリット語版の40華厳も採り入れた戦前の抄訳が、上記の「華厳経:新訳」として、やはり国会図書館のデジタルアーカイブで別に読める。
華厳経には、華厳経として複数経典が編綴される前段階の先行経典がいくつもあって、もともと、菩薩道の追求がテーマとなる十地経、入法界品その他いくつかの先行経典が、紀元4~5世紀頃までに西域周辺で華厳経として編綴されたもののようである。
華厳経の説く菩薩道は、初期大乗仏教的な空・般若波羅蜜を基調とする(ちなみに「大般若経」にも菩薩道を10の段階で説いている箇所がある)。
普賢菩薩が智恵(智恵=般若波羅蜜は六波羅蜜の6つの徳目のうち最重要徳目)を追究し、修行を重ねて菩薩道を追究し、さらには弥勒菩薩や文殊菩薩といった初期般若経典で活躍する菩薩を導き手として、大乗仏教に共通する菩薩道を説く経典の中の典型であり、部分的に紀元2世紀に遡るほど、般若経に次いで、また法華経・浄土経典と並ぶ古い歴史を持つ。
華厳経の蓮華蔵世界は、娑婆世界(我々のいる世界)・西方の極楽浄土(阿弥陀如来の世界)などの三千世界を全て包摂する。
ちなみに「法華経」は多仏世界のうちでもあえて娑婆世界を舞台としており、釈迦が実は入滅したのではなく、過去未来にわたり永遠不滅の存在であって、一切衆生に大乗の菩薩になるべく次々と授記をしていく存在として描く。
華厳経においては、あらゆる多仏の三千世界を含む蓮華蔵世界は、我々が住む娑婆世界を含めて、実は、毘盧遮那仏の神通力によってそこら辺り一面が実は光り輝いているが、その光が見えたり仏や菩薩の声が聞こえるのは、十地経の描く菩薩道の第一段階である初地に入って菩提心を起こした者、すなわち「発心」したものに限られる、と説く。
ということは、本来は、華厳経の蓮華蔵世界の世界観において、わざわざ、阿弥陀如来の極楽浄土にフォーカスする理由はないのである。
だから、漢訳版の60華厳、80華厳では、阿弥陀如来の存在感は極めて薄い。
それが、もっとも最後に成立したと思われる、不空訳の40華厳では、なんと入法界品のエンディングで、普賢菩薩が善財童子に対し説く内容が、「普賢の智恵を身につける誓願を実現した者は一瞬にして阿弥陀如来の極楽浄土に生まれ変わることができる」、というものなのである。
当該箇所は、抜粋して「普賢菩薩行願讃」として、浄土宗において読誦される。
すなわち、40華厳の普賢菩薩は、物語の主人公の善財童子に、菩薩道を極めるには、阿弥陀如来の極楽浄土に往生する、それによって普賢の智惠の追究と菩薩行の誓願が完成する、というのである。
40華厳のもっとも末尾を、「華厳経:新訳」(国会図書館のデジタルアーカイブ)から抜粋する。
華厳経:新訳 442ページ~443ページ
————
(中略)
唯この時にその身を離れず、不安の道に指導たるべきものは、此普賢の大願行のみである。
即ち無限に向上の一路を辿るものは、その願行に導かれて一刹那の間に、極楽世界に生れることが出来る。
極楽に生るれば、阿弥陀仏、文殊(菩薩)、普賢(菩薩)、観世音(菩薩)、弥勒(菩薩)等の聖者を見奉って、仏より成仏の保証が与えらるる。
此保証によって、普く十方の世界に雄飛して生類を教化し、久しからずして一切の煩悩の悪魔を降伏して、正覚を成就することができるのである。
故に汝等は此大願を聞いて疑いをおこさず、教のままに信受するがよい。信受し巳ればよく読み、よくその旨を体し、更にこれを書写して、広く人に教えよ。
かくすれば其等の人々は、念々に願行を成就し、無量の霊徳を備えて、一切の生類を煩悩の苦海より救済して、阿弥陀仏の世界に生まれしむることが出来る。
即ち普賢は偈をもって述べるよう
『願くは死に臨んで、あらゆる罪の汚を除き、まのあたり彼の阿弥陀仏を見奉って、直にその極楽世界に生まれよう。かの仏の世界に生るれば、直に此大願を成就して、余す処なく、一切の生類を済度することが出来る』と。
————
いかがだろうか。
これまた、ネパール伝来のサンスクリット版「法華経」と同じく、阿弥陀信仰そのものの表明のようである。
40華厳の善財童子は、華厳経のラストを飾る長大な入法界品における主人公である。
普賢の智恵を完成させる誓願を立て、菩薩行のため、53の善知識を延々と訪れた末に、なんと、阿弥陀如来の極楽浄土に生まれ変わって、その大願を成就するというのである。
大無量寿経の第十九願でも、臨終の際に、望めば、阿弥陀如来が聖衆とともに現れてくれる、と約束されているので、40華厳は大無量寿経の第19願による極楽往生の場面を採り入れたようにもみえる。
この40華厳のラストの描写は、善財童子がただ単に「死んで極楽浄土に往生した」という意味ではない。
善財童子は、菩薩道のプロセスとして、おそらく限り無い回数生まれ変わり菩薩行を積み、53の善智識を巡りながら、最後に、阿弥陀如来に迎えられて、極楽浄土において最上位の菩薩へと生まれ変わるという意味である。
華厳経、さらに入法界品において善財童子を導くのは主に弥勒菩薩、文殊菩薩など、初期大乗仏教(初期般若経典群)において般若波羅蜜(最高の智恵)を説き、教導役となる菩薩らであり、菩薩道、菩薩行を象徴する普賢菩薩もまたそうである。
なお、華厳経では釈迦が毘盧遮那仏に置き換えられ、毘盧遮那仏は自ら説法を語ること無く、普賢菩薩らが菩薩道を語り、教導するところが、それ以前の大乗経典とは体裁が異なってくる。
後の密教においても、毘盧遮那仏は大日経の中心仏であり、華厳経は、密教経典に一歩近づいているとも言える。
ちなみに、中期密教の中心経典である大日経は、正式には「大毘盧舎那成仏神変加持経(だいびるしゃなじょうぶつじんぺんかじきょう)」という。
華厳経も毘盧遮那仏の神通力と加持について繰返し強調するので、大日経はある意味華厳経の系譜を引いていると言える。
この華厳経の一部を形成する先行経典である「十地経」は、初期大乗仏教の代表的な経典の一つであり、大乗仏教全体を貫く「空」と「般若波羅蜜」の教説を説きつつ、果てし無い菩薩道を10段階で描いた経典である。
華厳経全体としては、普賢菩薩が象徴する普賢の菩薩道の追究と完成、普賢の菩薩行がテーマである。
具体的な普賢菩薩道の追究者としては善財童子になる。
善財童子が、その菩薩道を追究し、最後には法界(悟り)に入る。
その善財童子の普賢菩薩道の追究の物語が、華厳経の後半3分の1ほどを占める入法界品であり、つまり華厳経とは、十地経などによる華厳菩薩道を入法界品において実際の求道の形にして表現したものである。
その善財童子が法界に入るというエンディングが、よりによって、40華厳では、阿弥陀仏の極楽へ往生することによって、実現されるという。
40華厳にいたって、華厳経は、阿弥陀信仰を大幅に採り入れているのである。
なぜ、阿弥陀如来に極楽往生に連れられることが、悟りの道に入ることになるのか。
既に書いたように、その根拠は、大無量寿経にある。
大無量寿経において、極楽に往生した者は、全て、最上位の菩薩(正定聚=無定正等覚の菩薩)になると、大無量寿経の法蔵菩薩が立てた第11願に記載されている。
この正定聚という位は、無定正等覚とも漢訳されることがあるが、いわゆる菩薩道の10段階または50数段階において、菩薩として最も上の菩薩の位である。
そして、その正定聚の位、菩薩の最高位に至った者は、次に生まれ変わるときは、必ず如来になるとされる。
それを書いているのが、第22願(「私が仏になる時には、他の諸仏の国々から我が国土に往生する菩薩たちは必ず一生補処の菩薩(次に生まれ変わるときは必ず如来になる最上位の菩薩)に至らせます。ただし、思いのままに衆生を救い導くと誓いを建て、その誓いを鎧として身に纏い、功徳を積み、諸仏の国で衆生を救済しようと諸地(十地経の十地の意かと思われる)の普賢の徳を修して菩薩行を修する者たちはその限りではありません。」)である。
ここで注意すべきは、第22願から除かれる者として、十地経といった果てし無い菩薩行の階段を上ろうとする者、すなわち華厳経の菩薩行の象徴である普賢菩薩の徳を修する者は、除くとしている点である。
ここで大無量寿経は、華厳菩薩道を追究する者をおとしめようとしているわけでは無い。
大無量寿経は、実は、華厳経の普賢菩薩道とのバッティングを避けているのである。
大無量寿経の採る立場は、「華厳菩薩道を追究する者は、果てし無い菩薩行の階段を無限の時間かけて登っていってください」「でも阿弥陀如来を信じて極楽浄土に往生したものは、その華厳菩薩道の長い階段をすっ飛ばしてバイパスして、最上位の菩薩にならせていただきます」「華厳菩薩道には干渉しません」、という意味なのである。
華厳経は、大無量寿経をはるかに超える大部な経典であるが、その前半の一部が「十地経」と呼ばれる古くから独立先行経典として存在していた経典で、まさしく延々たる「菩薩道」の修行の階段を十段階にわたって説く教典である。
読めば、一生かかっても生身の人間には第一段階もクリアすることはかなわないことが明白である。
第九段階あたりになると、もはや如来と何が違うのかわからない(笑)。
しかし、大無量寿経によれば、やはり無限の時間かけて菩薩行を果たした法蔵菩薩の誓願のうち第11願のおかげで、阿弥陀如来の極楽浄土に生まれ変われれば、いきなり最上位(十地経でいえば十段階目。別の菩薩道の数え方でいえば、五十二段階目。それによれば五十二段階目となる)の菩薩になることができ、その菩薩になった者は、次に生まれ変わるときは必ず如来(悟った者)になれるというのである。
華厳菩薩道の果てし無い菩薩行の階段を、大無量寿経の第11願と22願はあっさりとバイパスして、すっ飛ばしてしまう。
それも阿弥陀如来の(他の如来や経典に優れた)神通力であるというのである。
しかし、これでは華厳経の存在意義が失われてしまう。
華厳経の菩薩行の象徴である普賢菩薩も存在意義を否定するに等しい。
この両経典、大無量寿経と華厳経(60華厳)は、漢訳された時期が、近年の研究では殆ど数年くらいしか違わないとされている。
しかも、術語も相当に共通しており、翻訳した僧侶ないしその集団はおそらく共通ではないかとも言われている。
法蔵菩薩・阿弥陀如来の誓願は、より極楽往生の救済を確実にするべく、また他の経典に対しより阿弥陀仏がまさった神通力と万人救済の力を持つものとして、時代が下ると共に経典中において誓願が増広され、整備されてきたことが、「大阿弥陀経」「平等覚経」「大無量寿経」と見比べればわかるが、大無量寿経においては、菩薩道の本筋を示しながら、救済を華厳経よりも大幅に拡大し、バイパスしているのである。
そして、漢訳大無量寿経より、あとの時代にサンスクリット語に訳された40華厳では、大無量寿経の阿弥陀信仰が華厳菩薩道に採り入れられて、なんと、善財童子が、阿弥陀如来の極楽浄土への往生によって、正定聚=無上正等覚の菩薩になる、という話になっているのである。
このように、法華経・華厳経とともに、後の時代のテキストほど、阿弥陀如来の影響が強くなる。
それくらい、阿弥陀仏信仰というのは、大乗仏教全般に強い影響力を及ぼしてきた。
原因は、大無量寿経の法蔵菩薩の物語が菩薩道の記述として完成されているとともにあまりに感動的であったからだと思われる。
この阿弥陀信仰の法華経や華厳経に対する強い影響は、あまり知られていないが、もっと注目されるべきことかと思う。
9.極楽往生後の菩薩行=還相回向について
さて、閑話休題。
大無量寿経により、人は、極楽往生に最上位の菩薩として生まれ変わり、そのあと、殆ど無限の安楽の時を極楽浄土で過ごすことになるのだが、実は、菩薩道における菩薩というのは、人々を幸せにし、幸せな国土を立てることを誓願して、利他行=菩薩行を無限の時間かけて実行する存在である。
大無量寿経における、阿弥陀如来の前身である法蔵菩薩の物語は、大乗仏教経典の中でももっとも整備された美しい菩薩道、菩薩行の追究とその誓願の完成(極楽浄土の成立)の物語といえるが、その阿弥陀如来の極楽往生に生まれ変わった者は、今度は、最上位の菩薩となって、菩薩の本性である利他行にめざめ、濁世に降りて行って、苦しむ人人を救済することを自らの務めとするのである。
これを、親鸞は、還相回向(げんそうえこう)といって、主著である「顕浄土真実経行証文類」(教行信証)の中で、けっこう執拗に強調している。
それで、還相回向は親鸞の教説の独自性であるかのように、浄土真宗自身も主張する向きもあるが、別に、還相回向は、親鸞の独自の教説ではない。
大無量寿経を読んでいけば、きちんと書いてある。
親鸞は、菩薩道を歩むものが、阿弥陀如来の他力のはたらきによって「回向され」増えていく、つまり、延々と菩薩行が拡がっていくという大無量寿経の菩薩道の構造、大乗仏教に共通する菩薩道の意義を、正確に読み取って、強調しているのである。
さて、話を戻して、蓮如は、この「末代無智の御文」においても還相回向には触れていない。
また、蓮如の語ったエッセンスをまとめたと思われる領解文にも、還相回向のことは書かれていない。
なぜか。
紅楳英顕「親鸞と蓮如の往生思想」という論文がある。インターネットで検索できるがPDFへのダイレクトリンクなのでここには載せない。
それを読めば、蓮如が、還相回向について大無量寿経や親鸞の教義であると認識していて、著書のところどころで触れていることは明白である。
しかし、門徒にはあえてそのことを強調することはなかった。
なぜか。
おそらく蓮如は、「在家の門徒は、極楽往生するところまで考えていれば、それでよい」「極楽往生した後のことは門徒はいま考える必要は無い」と考えていたのである。
極楽往生したあとで、菩薩になって、濁世に救済活動のため戻って来るところまで、いま苦しんで救われたいと思っている人たちに伝える必要は、確かにあまりない。
とりあえず極楽往生して菩薩として安楽な境地になれば、阿弥陀如来のはたらきで、菩薩道の菩薩行システムに組み込まれてしまい、自然と還相回向して、濁世に救済活動のため向かうことになるんだから、そんな先の事まで、凡人はわかっていなくても、極楽往生はできるんだからいいだろう、と考えていたと思われる。
実は、法然も、似たような配慮で、在家の悩み苦しむ人には、還相回向のことをあえて説かなかったものとみられる。
法然の在家とのQ&A集「百四十五箇条問答」は、法然が悩める在家の素朴な質問にシンプルに解決を与えていく、素晴らしいアンソロジーである。
これも必読の書である。
その27番の問答で、在家の質問として、「一旦極楽往生しても、極楽との縁が尽きたらまた濁世に舞い戻ってくることになる。なんとか濁世に戻らずに済まないか」というものがあった。
法然の回答は、「その認識は間違いです。極楽往生したら永く(永遠に)濁世に戻ることはないです。みな仏になります(これは極楽浄土において最上位の菩薩になるという意味でもあり、そこから次に生まれ変わるときは如来に生まれ変わるということが大無量寿経の誓願から導かれるという意味である)。但し、人を救い導くためには現世に帰ってくることもありますが、それは、輪廻して濁世と極楽をいったり来たりするという意味ではありません」というものであった。
この百四十五箇条問答27番の問答における、法然の還相回向に対する理解は、大無量寿経から導かれるとおりであり、適確である(この法然の答えを聞いたものがロジックを理解したかはわからない。たぶんわからなかったであろう)。
一般門徒の在家に対して、仮に還相回向を積極的に説いてしまうと、「せっかく極楽往生したのに、また現世で働かされるのか?」「それじゃ六道輪廻と何が違うんだ」と疑問を抱かせてしまって、いわば、無限の安楽の先のことまで心配してしまう心配性な人に一縷の不安を惹起し、余計な議論を招いてしまう。
法然、そして蓮如が、大無量寿経の還相回向を理解していながら、一般の在家に対して、あえて強調して説くようなことをしなかったのは、賢明なことであったと思われる。
還相回向といった、高貴な菩薩道の道に至った先の、はるか永遠の先に立つ道標を、一般の在家に、隠すわけではないけれども、戦乱や疫病や飢餓に苦しみいつとも知れず死んでいく、鎌倉・室町・戦国時代の民に、わざわざ説かなかったのである。
極楽往生してしまえば自然と菩薩道に入って利他行をするのであって、菩薩行を重ねる心配する必要は今は無い、というのが、法然や蓮如の姿勢だったのである。
誰しも、極楽往生してしまえば、阿弥陀如来の働き(他力)により、自然と菩薩の働きをするようになるのであるから、あらかじめその先まで心の準備を濁世に苦しむこの世で整えておく必要はないのである。
蓮如は、大無量寿経、法然、そしてそれを精緻かつ複雑に論ずる親鸞の教義を十分に理解しつつ、門徒への説明としては、細部をスルーし、むしろ、法然のシンプルな極楽往生の教えを説こうとしたように思われる。
10.蓮如の卓越性について再論
蓮如が、先立つ善智識の書として重んじた書物に「安心決定鈔」という書物があり、真宗聖典集にも収録されている。
この安心決定鈔は、著者も不明である(著者が浄土真宗の僧侶であることは明確である)が、蓮如が大切に重んじた書として、聖典集に収録されている。
この安心決定鈔は、親鸞色があまり色濃くは見て取れないとされており、どちらかというと法然の大無量寿経や浄土教理解の比較的に素直な直系というべき書である。
だから、浄土真宗ではなく浄土宗の色が濃い、とすら評されることがある(親鸞は自分の教説は法然と一切変わらないといっているのだが)。
この安心決定鈔は、阿弥陀仏への信心により心が定まるはたらきと信心による喜びについて語るところの多い論書である。
蓮如が、この書を、最重要の書として重視していたことは、蓮如が、門徒には、(親鸞流の深く学究的で)複雑な理屈の展開の迷路に陥ってつまづくことなく、シンプルに、阿弥陀仏の作る他力への信心にまかせて心を安らかに持って欲しいということを、布教の最重要課題としてフォーカスしていたことを示しているだろう。
さて、こうやっていくつかの例をみるにつけ、そして、蓮如のその他の言行録を見渡しても、蓮如は、大無量寿経・法然・親鸞らの各種の経典・論書を、細部にわたって恐ろしく正確に読み解いて血肉と化していたことがわかるのである。
蓮如は、法然、親鸞に劣ることのない、古今に際立つ、卓越した学僧であったことがわかる。
そして、蓮如は、その中でも一貫する救済のエッセンスを、ブレることなく語っている。
もともとなぜ蓮如が御文を作るようになったかといえば、浄土真宗の教説が、各派でブレが出てきており、その一貫性を保ち、末寺の僧侶が正しく浄土真宗の教説を理解できるようにと、わかりやすくエッセンスを抽出したのであり、その一貫した教説を伝道する機能を御文に発揮させるためだったのである。
その御文が、一般の在家門徒にすら、極めてわかりやすくて、あるいは「白骨」の御文のように挽歌として感動的ですらあるのである。
会ったこともない蓮如に、各地の門徒や他派の僧侶までが次々と惚れ込み、へき地の(越前と加賀の国境の)吉崎御坊に駆けつけ、蓮如が行ったこともない地方にまで本願寺の宗勢が拡大したのは、これが原因だった。
蓮如は、本願寺を訪れた門徒に宴席で酒を注いで回ったといい、そもそも門徒より高い席である高座に座ることもしなかった。末寺の僧にも、門徒にそのように接することを勧めていた。
蓮如は、京都まではるばる来訪した門徒を長く待たせたりしないようにとも、厳命していた。
蓮如は、営業マンの鏡でもあるのである(笑)。
本願寺が、蓮如の一代で、貧乏寺から日本最大の教団に成長したことも、こうみればわかる。
もちろん、蓮如のその深い教理の理解を、一般の在家が深く理解できているということは意味しない。
しかし、この蓮如のエッセンスを飲み込むだけで、学術的にみても浄土信仰の核心として正確であり、正しく最短で阿弥陀仏による救済を受けるための信心に至れる、とは評価できるのである。
そしてこれは、本願寺の学僧たちの殆どが一致するところであると思う。
蓮如のこういった透徹した思考と言行の核心が、先述の「末代無智の御文」であり、あるいは言行録の「蓮如上人一代記聞書」の各所に現れている。
蓮如の一貫性は、誠に見事である。
・大無量寿経と観無量寿経
・法然「百四十五か条問答」「選択本願念仏集」
・親鸞「顕浄土真実経行証文類」(教行信証)「(各種の)和讃」
・安心決錠鈔
・蓮如「御文」「蓮如上人一代記聞書」
とながれる、透徹した一貫性、思考のプロセスと系譜が見えてくる。
蓮如は、地獄のような世の中で悩み苦しむ人をどう救うかを、出発点、最優先課題として、あるべきエッセンスを抽出して、布教を進めたのである。
その門徒の側の信仰告白を確かめたいというのが、蓮如が門徒に奨励した「改悔」の儀礼であり、それが文章として固定化したのが「領解文」である。
さて、それでは、「あたらしい領解文」のどこに違和感があって、このように浄土真宗本願寺派の多数の僧侶が疑問を提起し、ついには憤りを隠さなくなっているのかを、次に語っていくことにしたい。
11.領解文と、新しい領解文の違いは何か?
ここまで読み進められた方は、ここで一度、これまでの「領解文」、次に、以下の「あたらしい領解文」を読んでみてもらいたい。
あたらしい領解文
—————-
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)
「われにまかせよ そのまま救う」の 弥陀のよび声
私の煩悩と仏のさとりは 本来一ひとつゆえ
「そのまま救う」が 弥陀のよび声
ありがとう といただいて
この愚身(み)をまかす このままで
救い取とられる 自然の浄土
仏恩報謝の お念仏
これもひとえに
宗祖親鸞聖人と
法灯を伝承された歴代宗主の
尊いお導きによるものです
み教えを依りどころに生きる者ものとなり
少しずつ執らわれの心を離れます
生かされていることに感謝して
むさぼりいかりに流されず
穏やかな顔と優しい言葉
喜びも悲みも分かち合い
日々に精一杯つとめます
—————-
「新しい領解文」には、大無量寿経・法然・親鸞・蓮如が説いた、「エッセンス」が、どのように書かれているだろうか。または書かれていないだろうか。
これも、ここまで読み進められてきた方には、かなり見えてきたと思う。
私が感じるのは、「新しい領解文」には、法然・親鸞・蓮如が「選択」し、選りすぐって抽出してきた「エッセンス」が、ほとんど感じられないのである。
大乗仏教全般に視野を広げれば、「新しい領解文」に記されている思想の根拠は見受けられる。
あたらしい領解文を素直に読めば、私であれば、
「不二(=空。初期般若経典以来の各種般若経典)」
「煩悩即菩提(不二からの帰結。本覚思想、如来蔵思想。般若理趣経や真言理趣経の自性清浄)」
「和顔愛語(大無量寿経)」
「三毒(貪・瞋・癡(とん・じん・ち)=貪り・怒り・無智)=煩悩 (スッタニパータ)」
などを、思い浮かべてしまう。
代表的大乗経典である大無量寿経にも、もちろん「新しい領解文」の根拠を探せば、見つけられる。
大乗仏教が形成されてきた大きな流れとして、その思想には3つの大前提と共通要素がある。
(a)多仏(悟りに至れる者はゴーダマ・シッダルダ1人ではなく、菩薩を経て如来となり、各如来の作った無数の仏国土が存在する)
(b)菩薩道(利他行を無限の時間かけて生まれ変わりながら菩薩として修行を続けた先に如来となる)
(c)六波羅蜜(原始仏教・部派仏教の八正道を置き換え利他行を強調したもの)とそれと表裏一体の空(部派仏教では無我に相当)の概念
である。そして、大乗仏教の発展の流れとしては、
(1)般若経典(初期般若経典群、大般若経、やや密教的な般若心経)
(2)法華経
(3)浄土経典(大無量寿経、阿弥陀経)
(4)華厳経(十地経、入法界品など)
(5)やや遅れて密教経典群(大日経、金剛頂経)
が大乗仏教の主要な経典群である。
主要な大乗経典には、みな、底流に、この多仏・菩薩道・六波羅蜜という共通の土台がある。
大無量寿経も、大乗経典の潮流の主要な柱となってきた経典である。
大無量寿経(先行経典・漢訳の別本に大阿弥陀経・平等覚経がある)は、多仏を前提に娑婆世界と異なる西方極楽浄土を説き、法蔵菩薩の菩薩の誓願と菩薩道を説き、法蔵菩薩が阿弥陀如来となって西方極楽浄土を作ったと説く。
大無量寿経は、もちろん菩薩道を説き、六波羅蜜を説く。
つまり、大無量寿経を全体として読めば、大乗仏教全般にわたって仏教徒に求められる徳行・修行の記述に溢れている。
「新しい領解文」は、大無量寿経を含む大乗仏教全般(部派仏教時代も含む)にわたる仏教徒としてのおこなうべき広い意味での徳行と心がけについて書かれているものとは、評価できる。
大乗仏教の仏教徒として、「新しい領解文」の記述内容自体が、間違っていると言えるわけではない。
しかし、「新しい領解文」を、法然・親鸞・蓮如の万人救済のエッセンスを門徒が「信仰告白」したものと言えるだろうか。
この「あたらしい領解文」の内容であれば、法然・親鸞・蓮如以外の浄土信仰においても、いくらでも信仰告白になりうる。
真言宗の寺でも阿弥陀仏が本尊という寺院やお堂はあるし、八宗兼学を標榜する天台宗の寺院にも阿弥陀堂がある。
「あたらしい領解文」は、そういった他宗の信徒向けの文章だと称しても、何ら構わない内容である。
でも、それは、法然が口称念仏を「選択」しそれを親鸞が継承した立宗のエッセンスたる趣旨はほとんど希薄化してしまい、以前の「領解文」と比べると、全くその趣旨を没却してしまっていると言わざるを得ない。
少なくとも、蓮如を目の前にして、門徒がこの「新しい領解文」を唱えたならば、蓮如は、「私の『御文』をちゃんと読みなさい」「法然・親鸞・蓮如の唱える信仰のエッセンスには合致していない(=異安心、異端)」と断じただろうと思われる。
多くの浄土真宗の学僧が強く反発し、宗会の議員の7割もが「あたらしい領解文」を推進する門主や執行部側に対して総長選挙で白票を投じて反発したのも、これが理由だったのである。
この、大多数の本願寺派の学僧に違和感と反発を感じさせる「あたらしい領解文」が一体どのようにして作られたのか、一言では語りがたいが、下記のYouTube 動画において詳細に解説されている。
浄土真宗本願寺派が掲げる「伝わる伝道」の問題点 浄土真宗本願寺派 熊本教区 勝明寺 木下明水 2024年4月8日
https://youtu.be/0DM2x4hNKz4?si=aYsnDXBRA5riLWAq
この木下明水氏の解説は、「あたらしい領解文」に反対している立場の学僧の解説であるが、「あたらしい領解文」の表現の由来、石上智康氏ほかの各書籍の引用や宗門の出版物における表現の変遷、その背景となる仏教思想の淵源について微に入り細に入り解説している。
私の第一感にだいたいにおいて符合し、しごく納得いく内容であった。
木下明水氏の解説は、石上智康氏の著書からの表現が「あたらしい領解文」を構成していることを分析・論証しているので、石上智康氏の個性による言葉の端端を、大乗仏教や浄土真宗の教義論としてあまり論ずる意味は乏しいともいえるが、それが「新しい領解文」として、宗門が何世紀も標榜してきた信仰告白を置き換えてしまうとなると、話は変わってくる。
木下明水氏の解説では、「あたらしい領解文」発布の主導者であった石上智康前総長のさまざまな著書からの表現や仏教理解が、「あたらしい領解文」の全体にちりばめられ、浸透していることが実証されている。
ここまで論証されると、石上智康氏が、「あたらしい領解文」の実質的な起案者だろうと考えて、差し障りないと思われる。
石上智康氏は、1936年生まれで東京大学文学部印度哲学科修士課程修了であるから、1950年代~60年代を東京大学の印度哲学科で過ごしたのであろう。
その頃の東京大学印度哲学科といえば、中村元教授のもと、サンスクリット語・パーリ語仏典の研究、特に原始仏教、部派仏教の研究が全盛のころであり、大乗仏教研究は、いわば釈迦オリジナルの仏教ではなく後世に作出されて釈迦作と伝承されているものとして、いわば一段低く見られていた時代であろうと思われる。
その後、大乗仏教研究は次第にルネッサンス的に復興していくものの、学究的アプローチとしては、部派仏教から発展していく初期大乗仏教の原像・源流と形成過程が何たるかを追究することに学問的関心が置かれてきた感があり、しかしながらこれによって、大乗仏教研究はここ30~40年の間に飛躍的な深みと拡がりをみせるようになった。
石上智康氏が、世代的に1950年代~60年代を東京大学印度哲学科で過ごし、部派仏教・初期大乗仏教を俯瞰し、浄土信仰も相対化しつつ、仏教徒一般としてあるべき仏教理解をきちんと踏まえた上で、その研究と理解の遍歴の最終地点として、本願寺派に属する僧侶として、自らは阿弥陀仏も信仰することを標榜、すなわち「得心」していたとしても、不思議はないだろう。
そうすれば、石上智康氏が自己が阿弥陀信仰に至る上での自らの仏教理解遍歴を踏まえて、信仰告白をおこなっているもの、と考えれば、この「あたらしい領解文」は理解しやすいように思われる。
石上智康氏の年代の学僧が、当時の東京大学印度哲学科の先鋭的で刺激的な仏教研究の奔流に触れれば、どうしても、原始仏教・部派仏教のオリジナル性に目が行くし、初期大乗仏教の展開の中での阿弥陀信仰の成立過程という視点を持つから、歴史的・文献学的に阿弥陀信仰を大乗仏教の中で俯瞰し、阿弥陀信仰を相対化しがちになる。
石上智康氏は、その思想遍歴において、阿弥陀信仰を素直に信じることができない時期を過ごしたのかもしれないと想像する。
法然・親鸞そして蓮如は、膨大な仏典を研究した上で、阿弥陀仏の万人救済に対して確信を肚に落とし込み、「選択」して、教理を確立した。
一方、石上智康氏のように大乗仏教を俯瞰する思想遍歴を反映して信仰告白をするのでは、阿弥陀信仰の絶対性・カリスマ性は希薄化し、法然・親鸞において「選択」された阿弥陀信仰のエッセンスの信仰告白からは、大きく逸脱してしまうことになったものと思われるところである。
————–
石上智康氏が本願寺総長在職中の2018年に日本経済新聞のインタビュー
「空」という真実知る対話
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO38939340U8A211C1MY5000/
「座右の書」との対話。それを通じ、仏法2500年の根本を教えられました。すべては原因や条件、縁が関係し合って起きている「縁起」です。だから固定した実体はない。これが「空」。縁起しているという事実を妨げる執(と)らわれや悪などなにもない、という真実についてです。
(中略)
カトリックは現実の世界と厳しい格闘をしています。同時に「無常・縁起・空」といった仏教の真理観は、つくりごとがないので、共存の思想のバックボーンや世界平和の創造へ貢献できるとも考えています。
(中略)
【私の読書遍歴】
《座右の書》
『ブッダの真理のことば 感興のことば』(中村元訳、岩波文庫)
『ブッダのことば』(同、同)
『現代語訳 大乗仏典1 般若経典』(中村元著、東京書籍)
『親鸞聖人御消息 恵信尼消息 現代語版』(浄土真宗教学伝道研究センター編、本願寺出版社)
—————–
やはり、「新しい領解文」は、1950年代1960年代の東京大学インド哲学科で中村元教授の影響のもと、部派仏教や初期大乗仏教研究(不二=空。執らわれも悪も空であるという空論や、そこから導かれる自性清淨論)に傾倒した学僧の思想遍歴と見ると非常にわかりやすい。
石上智康氏は、自らの思想遍歴に照らして、良心と確信に基づいて、自分の肚に落とせる得心として、「あたらしい領解文」を起案したのであろう。
そうだとすれば、この「あたらしい領解文」の問題は、当事者間においては絶対に溝が埋まらない教理上の対立、ということになってしまうようにも思われる。
石上智康氏の挙げる座右の書に、ここ30年40年来の、最新の大乗仏教研究、浄土信仰研究の豊かな成果が並んでいないのが、おそらくは、残念といえば残念なところである。
一遍の和讃の代表作の別願和讃では、自性清淨論、煩悩と悟りが本来一つという考えが、浄土信仰と法然の遺髪を継ぐ宗派においてかなりはっきりと否定されていることがわかる。「新しい領解文」に出てくる言葉も否定されているので、改めて紹介しておくことにする。
一遍 別願和讃
https://blog.lawfield.com/?p=920https://blog.lawfield.com/?p=920
————-
聖道(しょうどう)・浄土(じょうど)の法門を 悟りとさとる人はみな
生死(しょうじ)の妄念つきずして 輪廻の業(ごう)とぞなりにける
善悪(ぜんなく)不二(ふに)の道理には そむきはてたる心にて
邪正(じゃしょう)一如(いちにょ)とおもひなす 冥(やみ)の知見ぞはづかしき
煩悩すなはち菩提ぞと 聞きて罪をばつくれども
生死すなはち涅槃とは いへども命ををしむかな
自性清浄法身は 如々(にょにょ)常住の仏なり
迷ひも悟りもなきゆゑに しるもしらぬも益(やく)ぞなき
—————-