この話題を出すと右派からも左派からも政治的にとられるので、ビジネス法務の世界に住む弁護士が触れるのは損な話題であるが、いろんな論説を読んでも今ひとつしっくりこないので、自分からの視点で書いてみたい。
1.天皇には国政の権能に属することでコミットメントを求めてはいけない
日本国憲法にてらしてあたりまえのことである。
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
山本太郎議員に対する批判として、「手紙を渡すのは天皇の政治利用だ」というものがある。私は「政治利用」という言葉には、微妙に違和感がある。 むしろ「国政の権能に属する政治的課題について、天皇にコミットメントを求めた」ことが、日本国憲法にてらして、許されないのである。これは、戦前への反省から日本国憲法の大原則として定められたことであり、右派も左派も共通の理解である。
次に、山本太郎批判に対し、自民党政権が、高円宮妃久子をブエノスアイレスのIOC総会でスピーチをさせたり、主権回復の日記念式典に出席させたといって、逆批判する向きがあるが、この逆批判はまるで的外れだと思う。そんなことを非難したら、皇室が出席する政府行事やスポーツ振興関係の式典など大半がアウトである。冷静にみて政治的コミットメントとはとてもいえない。そして内閣の助言に基づいている。それだけのことだと思う。
2.天皇陛下に秘密保全法反対を訴えたこと
私が、山本太郎議員の行動で特にまずいと思うのは、以下の点である。 以下の東京スポーツのWebサイトでインタビュー記事が載っている。
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/200284/
内容は?
山本:子供たちの被ばくや健康被害が福島だけではなく、この先、他にもたくさん出てくることや食品の安全基準が低い問題、 原発の高線量エリアで働いている作業員たちの健康や放射線管理があまりにずさんな話などです。また秘密保護法も通ってしまえば、権力者にとって原発事故も含め、都合の悪いことは隠されてしまい、戦前に逆行している、と。
なんで、天皇と秘密保全法が関係あるのだろう?全く理解不能である。山本太郎は宇宙人なのか。鳩山由紀夫のようなものかもしれない。戦前に逆行しているというなら、天皇制を否定し反発する方向にベクトルが働くだろうに、逆に天皇にわかってもらいたいと言って毛筆の巻き物で上奏するように信書を送るのだから、失笑するしかない。
マスコミの報道で、山本太郎議員が秘密保全法反対を天皇陛下に訴えたことは、驚くほど無視され、スルーされている。
マスコミは、第4の権力と言われるが、自らの基盤をゆるがすおそれのある制度改正には一致して反対してつぶしにかかる。たとえば、新聞の価格をカルテルで維持する再販制度の廃止には徹底して抵抗する。新聞社が、テレビ・雑誌・ネットなどのマスメディアのバランスで再販制度の是非を語ることは、今後もないだろう。若者の新聞離れはもはや絶望的なまでに進んでしまっているが。
秘密保全法反対の論調で、今マスコミは一色である。賛成論などは微塵もマスコミでは取り上げられることはない。反対となると大きく取り上げられる。わかりやすい。こればかりは右寄りと思われるメディアも反対一色である。これは単純な話で、マスコミが取材しにくくなる秘密保全法をつぶそうとするのは、自己保存本能による当然の生理的行動である。
公務員の守秘義務違反には今でも最高で懲役1年が課されるが、会社から企業秘密のコピー紙を持ち出しても窃盗だから最高で懲役10年である。民間企業であるメーカーも新聞社も、その程度には刑法で保護されている。そもそも公務員がコピー不可の役所の資料をこっそりコピーして持ち出せば窃盗罪で最高刑10年である。それが公務員が国の秘密を漏らすのは最高で懲役1年でなければ国民の知る権利が制限されけしからんというのは、冷静に考えればバランスがとれていない。果ては大新聞が、日本には守らなければならない秘密などない、とまで平然と書き立てる。 秘密保全法問題は、マスコミの報道は割り引いて考えなければいけない典型例であろう。
そんなマスコミの潮流一色のなかで、山本太郎議員が秘密保全法反対を天皇陛下に訴えたというのは、行為自体が常識外れでとても支持できることでは無いが、さりとてマスコミとしてはそれ自体を糾弾もしがたい。だから、秘密保全法反対を天皇陛下に訴えたという点はあえて無視して、スルーするのであろう。
3.毒物入りの手紙だったらどうする?
2003年11月 ホワイトハウスで手紙に封入されたリシンが検出。
2013年4月 バラク・オバマ大統領宛の手紙の中にリシンが混入されていることをシークレットサービスが発見。
2013年5月 ニューヨークのマイケル・ブルームバーグ市長あて手紙からリシンが検出。
アメリカで大統領などの要人に致死性の猛毒が混入した手紙が送りつけられている事件は記憶に新しい。山本太郎議員は知らないのだろうか? 要人に手紙を手渡すという行為は、極めてデリケートな行為である。天皇陛下や内閣総理大臣のような要職にある者に、事前のアポなしに、セキュリティのチェックなしに、手紙を渡してよいのか?よいはずはないであろう。周囲のシークレットサービスによる事前チェックが必須である。テロ対策の問題である。
山本太郎議員は、自分に対してアポなしで送りつけられてくる手紙もすべて自分で手渡しで受け取ったり開封して構わないと思っているのだろうか。あるいは山本太郎議員が、自分は天皇陛下に害を及ぼすわけがないから少なくとも自分はアポなしで手紙を渡してよいのだと思っているのだとしたら、あまりに傲慢で愚かである。他の誰でも要人に対して同じことをしてよいということになる。
というのが私の批判なのだが、さる11月13日に、山本太郎議員のもとに刃物入りの手紙が送られてきたのが発見されたという報道があった。これは脅迫であり犯罪というしかないが、要するに手紙を渡すにも要人側のセキュリティを考えないといけないということである。天皇陛下に直接手紙を受け取らせてしまって、侍従や警備担当者はセキュリティの甘さを露呈し、痛切に責任を感じて恥じているに違いない。罪なことをしたものである。
4.園遊会で前列に割り込んだ?
山本太郎議員は、園遊会で前列に割り込んだようである。お声掛けもない新米参議院議員が前列に並べるはずはないので不思議だと思っていた。 TBSの報道によれば、数時間前から並んでいた参列者の前列に割り込んで苦情を受け場所を移りながら、尚、別の場所で前列に割り込んだということのようである。
5.「陛下の御宸襟を悩ませた」と反省の弁
宸襟という言葉を、山本太郎議員が知っていたわけでは無いだろう。たぶん、右翼がかったスジからのクレームに出てきた言葉ではないかと思われる。 それにしても、「御宸襟」はない。「宸襟」であろう。しかも宸襟というのは天子の胸の内のことをいうので、「陛下の宸襟」というのもヘンである。用法が間違っていると言わざるを得ない。言葉を知らないのだから当然かもしれないと感じた。山本太郎議員がなお直接天皇陛下に会って謝りたいなどというのはぶしつけで失笑するしかないし、 二重橋に行ってお詫び申し上げているというのもいよいよ時代がかっている。
天皇陛下が山本太郎議員を気遣っているという報道が出るのも、天皇陛下の人間性が表れているとは思う。おおごとにされるほうが天皇陛下にとっても皇室全体にとっても負担になるからまして懸念されるのだろう。親しみやすくあるべきという戦後の皇室の立ち位置というものの難しさをよく理解されており頭が下がる。山本太郎議員にはそのような宸襟は理解の外であろう。だから直接会って謝りたいとか二重橋でという話になるのである。
一方、山本太郎議員が、宮内庁の職員や園遊会で割り込まれた列席者に対して申しわけない、と謝罪を表明しないところが、ひどすぎる話である。
それ以上に、天皇陛下になによりもまずなどと言ってあのように大仰にお詫び申し上げるより、まず、日本国憲法にお詫びを申し上げて欲しい、それがスジだろう、というのが、法律家としての感想である。なぜかこういった視点は、マスコミにもないようである。