人権疲れとトランプ現象

トランプ現象の背景にあるのが、米国の国民の「ポリティカル・コレクトネス」に対する嫌悪感の拡がりにある、というニュース解説が目立つようになった。

アメリカの民主党政権というのは、歴代、概して、米国内にとどまらず、外国の人権状況に対するコミットメントが厳しく、クリントン政権もさりながら、オバマ政権に至ってその傾向は強まったと言えるだろう。

そもそも、オバマ政権の前のジョージ・W・ブッシュ大統領の共和党政権が、「サダム・フセインを打倒して、イラクに民主主義を根付かせる」「民主主義の戦い」と宣言して、あのイラク戦争を引き起こしたのである。

その結果が、イラクの宗派対立からの大混乱と内戦、あげくにISの台頭である。

さらに、イラク戦争は、中東の独裁国家への反発を広げ、アラブの春を誘発する。

アラブの春で、革命がある程度成立してしまったほとんどの国は内戦などの大混乱に陥った。

独裁が復活したエジプトなどは人権抑圧とともに安定を取り戻しもしたが、最悪の結果がアサド独裁政権下のシリアで、ISはおろか、反政府組織もテロ組織に親和性があり、それに対するアサド政権の虐殺と人権抑圧は内戦前よりはるかに激化した。

EUにはシリアから難民が大量に流入し、難民を寛容に受け入れてきたドイツやフランスの「ポリティカル・コレクトネス」を根本から揺るがした。

イギリスに至っては、EUの理想である一つのヨーロッパというという「ポリティカル・コレクトネス」から、国民投票によるEU離脱決定という形で、背を向けてしまった。

その中でのトランプ現象である。

「ポリティカル・コレクトネス」に対し、あからさまに露悪的に背を向けた言動を繰り返したトランプ氏を地滑り的に大統領に押し上げた米国社会には、どこか「ポリティカル・コレクトネス疲れ」の空気がひっそりと拡がっていたのだと思われる。

フィリピンでは、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、検察官出身であり、ダバオ市長時代から麻薬犯罪に対する過激なまでの取り締まりをしてきたが、ドゥテルテ大統領の言動を、オバマ政権が人権侵害であると繰り返し警告したことから、ドゥテルテ大統領が激しく反発し、米国とフィリピンの国家間の関係は抜き差しならない状態に陥ってしまった。

ドゥテルテ大統領は、検察官出身で、現時点では少なくとも、見境の無い暴君というわけではなさそうである。

フィリピンの麻薬戦争において麻薬密売犯罪組織を撲滅するためにやむにやまれぬ強硬手段を講じているという自覚を持っていることが、言動からうかがえる。

コロンビア麻薬戦争、メキシコ麻薬戦争といった、犯罪組織との内戦ともいうべき状態にある国々を見ていると、フィリピンの麻薬組織の深刻さと社会全体にもたらしている被害も相当なものであり、それが、麻薬組織に対し殺戮を辞さない超法規的な取り締まりをおこなうドゥテルテ大統領が、国民支持率90パーセントという異常な支持を獲得している理由であろう。

もちろん、ドゥテルテ大統領の行為が、デュー・プロセスでアウトであることは疑問の余地はなく、ペルーのフジモリ大統領のごとく(フジモリ大統領もペルーの麻薬組織を強引に撲滅して社会的経済的安定をもたらした)、政治的に落ち目になれば職権濫用・虐殺の汚名を着せられることは容易に想像がつく。

ドゥテルテ大統領は、そこまで予測しながら麻薬密売犯罪組織の壊滅を優先しているかのような開き直りを感じる。

これが、ドゥテルテ大統領が守りに入って自らの保身に走った時は、たちまち市民を弾圧する独裁政権へと転ずる可能性は否定できない。

一方、麻薬組織の撲滅がひと段落つけば、法曹らしくデュープロセスに回帰する可能性もある。

トランプ大統領はといえば、ポリティカル・コレクトネスを偽悪的に貶めるような発言が目に付く。

ポリティカル・コレクトネスそのものがトランプ氏自身に対する攻撃手段だとみなして、手当たり次第に反発しているように見受けられる。たいしたことでもないのにスルーができていないのが幼稚に見えるくらいである。

そんなトランプ政権は、オバマ政権とは打って変わって、外国の人権抑圧状況をスルーするようになる可能性が高いと思われる。

これは、一面では世界の人権外交と人権状況の後退である。

しかし、米国の人権外交が、OECDレベルの先進国を除けば、多くの国にとって国の実情を無視した迷惑な内政干渉、政権転覆行為、犯罪組織の跋扈や混乱を助長し国民を不幸に陥れる行為と、しばしば受け取られていることも、一面の事実である。

さらに、多くの場合、米国の人権外交は、実は米国の国益追及と裏でリンクしていて、米国の国益にそぐわなければ米国はしばしば人権外交を手控える、という批判も、また一面の真理であろう。

例えば、中国国内での人権抑圧には、米国の歴代政権は、民主党政権含めて、極めて寛容である。

米国の、イラク戦争の遂行や、アラブの春への中途半端な口先介入による混乱が、人権外交の結果だとすれば、人権外交が招いた中東の諸国民にとっての結果として最悪である。

トランプ大統領のアメリカは、外国との経済関係とのバーターで、外国の人権状況など、簡単にスルーしてしまうように思われる。

そういう意味で、トランプ政権下で、対ロシア、対フィリピンなどとの関係の改善が見込まれるのは、予想とたがうところではないだろう。

トランプ次期大統領は、シリアなどはアサド政権とロシアの圧政に任せた方がよいと、まじめに考えている可能性が高い。

米国基準の感覚で人権を振りかざすことが、ある国家の状況においては、最大多数の最大幸福に必ずしもつながらないことを、米国が、対外的にも、対内的にも、ここ数年で示してしまったのかもしれない。

それは、世界にとって、長期的には不幸なことであるが、短期的には社会の安定と経済的繁栄をもたらすかもしれない。

トランプの米国が、人権外交を押し付け振りかざすというオプションをあまり行使しなくなる、というのは、ある意味米国が世界の多様性を認め、傲慢な理想の押し付けを控えるようになる、といえるようにも思われる。

米国の傲慢な利益誘導とパワーゲームが逆に増えるとは思われるが、それはそれで他国からすれば米国の行動基準を予測しやすくするかもしれない。

一方、トランプ氏の論理と政策が、米国民の幸福の最大化をもたらすかは、正直疑問なようにも思う。

とにかくも露骨に利益誘導的でエキセントリックで、一国の指導者としての持続可能性に疑問がわくほどに危なっかしい。

とはいえ、米国という民主主義社会は極めて強靭であるから、とことん深刻な事態にはならないとも思われる。

なにしろ、8年間のジョージ・W・ブッシュ政権すら、米国はやり過ごしてきた。

ブッシュ政権のもとで起きたリーマンショックは民主党政権がしりぬぐいをし、アフガニスタン戦争・イラク戦争は共和党が政権を奪還してなおまだ負の遺産として尾を引いているが。

米国はやはり民主主義国家としては別格だと言わざるをえない。

しかし、歴史を鳥瞰すれば、先進国と中進国と途上国、さらにはキリスト教国とイスラム諸国とアジアの国々を、経済的状況もさりながら人権状況において、ひとくくりにすることができないこと、それぞれの国がめざす解は短期的中期的に一つではないことも、また事実である。

西村幸三

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京都・烏丸三条にある法律事務所を運営。ニュース・法改正・裁判例などから法務トピックを取り上げていきます。