「仁」という言葉の意味

今回は、論語の話をしてみたい。

論語を初めて読んだのは、中学1年生のときに、校長先生の授業で「論語物語」(下村湖人)を渡されたときだったから、かれこれ36年余り前ということになる。

授業であまり論語を採り上げたわけではないが、「論語物語」は、読んでハマりにハマった本であった。

夢中で読破し、続いて岩波文庫の「論語」訳注やら、孔子の思想の解説書など、何冊も買い込み、飽き足らずに図書館で借りては読んでいた。

以来、論語は折に触れては読み返す本ではあるのだが、文意にまったく納得できない部分がずっと残っていた。

「仁」という概念である。

論語を読む限り、仁について語られる箇所は50箇所を下らない。

孔子は、「仁」という概念を徳の最上位に置いていて、弟子たちも仁について問う問答が非常に多く、弟子たちも孔子の思想の根幹が仁であるとみなしていたことは間違いないのだが、その「仁」という概念が、私にはどうしてもすっきりと理解できなかったのである。

国語辞典や漢字辞典では、仁は「思いやり」「いつくしみ」が語意であるとされる。2人の人がいて、他人を思いやる心である、というものである。

ほとんどの論語の解説書にも訳本にも、そう書いてある。

あるいは論語の解説になると、「人を愛することだ」とも「克己」とも「仁愛」とも書かれている。

こういったあたりが仁の語義として学会の通説なのだろう。

しかし、論語を何回読み返しても、仁について語った箇所を「思いやり」と訳しても、意味がつながらない。

こう感じるのは私だけではないはずだ。

だからこそ、学者の解説でも、「仁」の意味は弟子たちにもわかりにくかった、とか、孔子の仁の思想は深遠だ、といった、奥歯に物が挟まったような、隔靴掻痒の解説になりがちである。

実際、後世の儒学者は、必ずしも仁という言葉に孔子ほど重きを置いて突き詰めることなく、別の語句で儒学の教えを構築していくのである。

しかし、仁の意味が「思いやり」なら「他人への思いやり」であって意味は単純で、わかりにくい概念、となるはずはない。

結局、論語を読んでも、訳や解説書に納得できず仁の意味に違和感が残ったままで、そこが孔子の教えというものに対する最大の消化不良点であった。

例にもれず、論語読みの論語知らず、というやつである。

それが最近、ふと、仁とはこういう意味ではないか、と自分なりに、「気づいた」ように思っている。

結論からいえば、孔子の言う「仁」とは、「(1)無私(無我)(2)志道(3)克己(4)利他(5)謙譲」の5つの心構えの複合体であるように思う。

5つの要素はどれも「仁」に不可欠であるが、意外なことに、文意としては、「無私(無我)」のウエイトが高いように考える。

また、「志道」、「克己」。これも、自分の心の内面に向いたものである。

「謙譲」も、外面的なものではなく、志道と克己の行きつく先に現れる態度である。

他人への思いやり、といった情愛的なものというより、「人を大切に思う気持ち」がにじみ出て「利他」として表出するさまをいうものであろう。

道を志し、己に克ち、他人のために尽くし、謙譲を忘れず、努め続け、その先に到達する究極は、無私・無我の境地となる。

この心構え、生き方の姿勢を、「仁」と孔子は表現していると、私は考える。

論語に沿って、例を挙げてみよう。

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(1)「巧言令色鮮し仁」(學而篇第一、陽貨篇第十七)
・・・(直訳)「言葉を巧みにかざることは仁が乏しい。」
この仁を「思いやりが乏しい」とは訳せない。
一方で、「言葉を巧みに飾ることは無私の境地から遠い」という文意ならしっくりくる。

(2)「人にして不仁ならな礼をいかんせん。人にして不仁ならば楽を如何せん」(八しょう篇第三)
・・・(直訳)「不仁ならば、例も楽もどうにもならない」
この仁も「思いやりがなければ」とは訳せない。
心から相手に対し素晴らしいことをするという気持ちを込めて正しい言動に努め、無私の境地で音楽を奏でる。そういう思いで礼と楽を遂行せよという意味であろう。

(3)「不仁者は約におるべからず。もっと長く楽におるべからず。」(裡仁篇第四)
・・・(直訳)「不仁者は逆境に長く耐えられない。順境にも長くはいられない」
この不仁も「思いやりがない者」とは訳せない。
克己心のないもの、志道の心のないもの、利他の姿勢がなく我欲に囚われるもの、の意味であろう。

「ただ仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む」
「まことに仁に志せば、悪しきことなし」
これも、思いやりある者、というより、志道と克己の末無私の境地に達した者、であろう。

(4)「回や、その心、三月仁に違わず。その余はすなわち日月に至るのみと」(雍也篇第六)
・・・(直訳)「顔回の心は三か月間仁の境地にあり続ける。私は一日一月続けばせいぜいだ」
ここでいう仁は、持続的な志道と克己に努める姿勢とそれによる無私の境地のことであろう。

(5)「仁を問う。曰く、仁者は難きを先にして獲ることを後にす。仁と謂うべしと。」・・・(直訳)「仁者は困難なことに先に取り掛かり、見返りを得るのは後回しにする」

この仁も、思いやり、ではない。
無私、利他、克己心ある者の意味である。

(6)「仁とは己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く取りて譬うるを仁の方というべきのみ」
・・・(直訳)「仁とは自分が立身したいときに人を立たせ、自分が達成したいときに人に達成させる。仁とはもっと身近に譬えられるものだ」
この仁も、思いやりというのではなく、謙譲、利他、他人への貢献、無私というべきであろう。

(7)「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」(子罕篇第九、憲問篇第十四)
この場合の仁者は、憂えない、一喜一憂しない、心配に押しつぶされない、の意味である。
これを「思いやりある者」とは訳せない。
不断に道を志して克己した者、無我の境地にある者を仁者というのであろう。

(8)「顔淵礼を問う。子曰く、己に克ちて礼を復むを仁となす」「顔淵曰く、その目を請い問う。子曰く、非礼視ることなかれ、非礼聞くことなかれ、非礼言うことなかれ、非礼動くことなかれと」(顔淵篇第十二)
論語の仁の説明として、時に、仁とは克己のことである、という説明がされるのは、この句に拠るものであろう。
さらに仁の詳細を顔淵が問うたことに対し、孔子は、「見る、聞く、言う、行動する」基準が礼にかなっているようにという。

「正しく見る、正しく聞く、正しく言う、正しく行動する、己を克服すべく正しい思念を持って精進する」ということである。

こうしてみると、孔子の言う「仁」を追究する学び・研鑽なるものは、釈迦の唱えた八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)とほとんど同じ、パラレルな内容であることがわかる。

礼は、広義には「正しい規範」のことである。礼にかなった、を正しい、と置き換えてみれば、孔子のこの句と釈迦の八正道の教えがほとんど似通っていることがわかる。

無私、志道、克己、利他、謙譲が、無我と八正道と置き換えることができるとすると、仏教でも原初の教えである釈迦の教えのエッセンスとこの句に見える孔子の仁の教えはかなり相通じるというべきであろう。

なお、先進篇第十一に
「子曰く、回やそれちかきか、つねに空し」という句がある。
・・・直訳「(ほかの弟子たちを一言で評したのち)顔回は私に近い。つねに空である。」
大乗仏教の原初の般若経の根本概念が「空」である。「空」は釈迦の原初の教えの「無我」に近いが、大乗仏教の「空」には社会的存在として利他への志が背景にあり、無我をより肯定的にした概念と大乗仏教では解されている。
孔子は、様々な弟子を一言で喩えるなかで、自らと、自らの最高の弟子であった顔回をして、空と喩えた。
孔子は、上記の雍也篇で、顔回を自分と比べても長く仁の境地にあり続けられる者と評した。つまり「仁」と「空」は顔回への端的な評言であり、孔子が自らのあるべき特性として共鳴する点である。
仁に、空の概念が含まれると考えることは、容易に可能であると思われる。
ちなみに、孔子が生きた時代は、釈迦とは前後するが、大乗仏教の興隆よりはかなり前である。
大乗仏教の「空」は、サンスクリット語の「ゼロ」の漢語訳であるから、孔子の言う「空」とは時代も遅れるし、淵源が全く異なる。
しかしながら、孔子が顔回や自らを評した「空」は、大乗仏教の「空」と相通ずるものがあると言わざるを得ない。
後世の儒家たちが、この点にほとんど気づいていないのは、奇妙に思われるくらいである。
これは、後世、孟子や朱熹の解釈が孔子の思想の解釈のスタンダードとなったことと無縁ではないだろう。
孟子の仁の解釈は当たっている部分と狭く解釈した部分があるし、朱熹にしてもそうである。

*なお、孔子が顔回を評した「空」を、現代の日本語訳の殆どは「米櫃が空=貧しかった(が道を楽しむ)」と訳するが、これはおそらく朱熹以降に確立した解釈である。一方、加地伸行の訳は「心空(むな)し」と訳す。これは、南北朝時代の論語義疏(先進篇の該当箇所)といった古注によるもので、空とは虚心、心を虚しくすることで、心を虚しくすることが道を知るに不可欠で、聖人の道である、それが顔回を空と評した孔子の意図である、という解釈が、朱熹以前には「顔回は貧しい」と解するほかにもかなり有力だった。私見も、顔回を一言で評するのに「米櫃が空だった」はあんまりだろう、と考えるので、古義に拠った加地訳に与したいと思っている。

(9)「樊遅仁を問う。子曰く、人を愛すと」
仁の意味が、「愛」「思いやり」のことであると言われるのは、この句によるものであろう。 「敬天愛人」の淵源も、この句であろう。
しかし、この論語でいう「愛」はLOVEの意味ではない。
古代中国語の愛、原始仏教の愛(執着であるとして否定的)、密教の愛(絶対肯定)、キリスト教でいう愛、現代語としてのLOVE(男女の愛)、は、みな意味するところがが異なる。
古代中国語の愛は、広義には、他人を大切に思い大切に扱う気持ち、というのが一番語感に近いように思う。

(10)「樊遅仁を問う。子曰く、居所恭しく、事を執りて敬し、人と忠なるは、夷狄にゆくといえども棄つべからざるなり」(子路篇第十三)
・・・(直訳)「家にいてもうやうやしく身を慎み、物事に当たれば敬意の念をもって懸命に励み、人に対しては心から誠実であること」
この仁も、思いやり、ではないであろう。無私、克己、利他の心構えと態度のことであろう。

(11)「剛毅木訥、仁に近し」
この仁も、思いやりとは、訳せない。
無私、志道、克己、利他、謙譲だと考えれば、剛毅も朴訥も、心構えや態度としてはかなり性質が近い。

(12)「仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁有らず」(憲問篇第十四)
この仁も、思いやり、の意味ではない。
志道、克己の末に、無私・無我の境地に達した者は、物事にひるまないので、必ず勇の徳性を具備するという意味であろう。
勇のことを論じているのに、他人への思いやりがと論じるのは、いささか論証として必然性がなくつながりが弱いであろう。
ここで仁のことを思いやりという語意で論じているものとは思われない。

(13)「子張仁を孔子に問う。」「曰く、恭・寛・信・敏・恵なりと。恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得、信なれば則人任じ、敏なれば則ち功あり、恵なれば則ち以て人を使うに足れりと」(陽貨篇第十七、堯曰篇第二十)
ここでいう仁が、単に思いやりでないことは明らかである。
無私、志道、克己、利他、謙譲の心構えと態度をもって周囲に接したときの効果を述べたものであろう。
但し、仁者であることの利を説いているようにも見えて、やや功利的で、孔子の教えというより子張ら後世の弟子の教えと思えなくもない。

(14)「子夏曰く、博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う。仁そのうちにあり。」(子張篇第十九)
この仁も、思いやり、の意味でないことは明らかである。
志道、克己のためにたゆまず学び努める中に、仁がある、という意味であろう。
なお、朱熹の著「近思録」の語源はこの句にある。

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長々と論語を引用した。

このように、「仁」を「思いやり」と解しては文意が定まらない箇所が実に多いのである。

もっとも、仁を「思いやり」「仁愛」と解して矛盾がない箇所も多いし、そう訳した方が良い箇所もある。

しかし、仁が、「思いやり」「仁愛」だけの語義でないことは、こうやって論語中で仁の語が現れる箇所を一通り検証してみると、改めて自分の臓腑に落ちる思いである。

孔子によって、仁が場面場面でかなり複合的な意味でつかわれるのは不思議なことではない。

英語の”integrity”が、同様に、はなはだ複合的な徳を含む概念として使われることが思い起こされる。

孔子は、語義として通有的な意味を超えて仁という言葉を造語的に使っていた可能性が高い。

とはいえ、上記のような「仁」の語義の解釈は、多くの碩学が書かれた論語の訳や解説書ではほとんど採られていない独自の見解であって、私は、自分の見解の方が正しいとか優れていると唱えるつもりはない。

大修館書店「大漢和辞典」でも「仁」には17種類もの意義が書かれているが、論語に関していえば意味は「いつくしむ、親しむ、思いやり、慈しむ、親しみ、克己、徳化、善政」などである。

ただ、文意の解釈としては、私の読み方が自然だと、今ではほぼ確信に近く感じている。

愛読書として折に触れて論語を読んで三十六年を経てようやく、論語の最上の徳「仁」の語意の解釈に、自分なりにたどり着いた、という思いである。

西村幸三

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