藤井聡太棋聖(七段)が、本日2020年8月20日、王位戦で木村一基王位を4勝0敗で破って、王位の座を獲得し、棋聖・王位の二冠となった。
藤井聡太二冠のことを始めてブログで書いたのは、2018年3月23日で、そのときのタイトルは、
藤井総太棋士が九段になる日 https://blog.lawfield.com/?p=495
だった。
そのときは、藤井聡太棋士は、六段であった。
そのときのブログで何を書いたかというと、日本将棋連盟のその当時の昇段規定からすると、八段になるのは九段になるより大変で時間かかるよね、ちょっと難しいよね、八段になる前に、タイトル3期獲得してしまっても、八段になれないので、八段飛ばしていきなり九段になることはできないのだから、という内容だった。
日本将棋連盟の昇段規定は以下である。
https://www.shogi.or.jp/match/dan_provisions/
現在の九段、八段への昇段条件は、
九段
竜王位2期獲得
名人位1期獲得
タイトル3期獲得
八段昇段後公式戦250勝
八段
竜王位1期獲得
順位戦A級昇級
タイトル2期獲得
七段昇段後公式戦190勝
である。
しかし、実は、現在の八段の昇段条件の「タイトル2期獲得」という条件は、ブログを書いた2018年3月23日には存在していなかった。
また、九段になるには必ず一旦八段になっていないと、九段にはなれなかった。
2018年6月1日に、昇段規定が改正されて、八段の昇段条件に、「タイトル2期獲得」が追加されたのである。
九段になるには必ず一旦八段になっていないといけないという条件もなくなった。
藤井聡太のために昇段資格が追加されたのではないか?と当時、私は疑ったくらいであった。
もっとも、旧規定では、八段を経ずにタイトル3つをとりながら九段になりそこない七段のままという棋士が出てしまい(既に過去にいるのではないかとも思うが)世間の話題になり、実力と段位の乖離としてニュースになり、それが藤井聡太棋士になる可能性は高かった。
この追加された昇段条件によって、改正直後に最初に八段に昇段した棋士に、永瀬拓矢二冠がいる。
藤井聡太二冠は、二人目ということになる。
それ以前の八段昇段といえば、大変な偉業であった。
八段といえばほぼA級経験棋士のことであった。
八段昇段最速記録は、加藤一二三である。
名人戦の順位戦(C級2組)からA級まで4年連続でのストレート昇級を果たし、最年少の18歳3か月でA級昇級を果たしている。
この名人戦順位戦A級昇級=八段昇段条件であり、それが、最年少記録の18歳3か月なのである。
藤井聡太は、プロ入りした四段の時点で、既に加藤一二三のA級昇格最年少記録の18歳3か月は破れないことが確定していた。
タイトル2期獲得という八段昇段条件が追加されるまでは、藤井聡太が、八段昇段の最年少記録を達成できる唯一の可能性は、竜王位1期獲得だったのである。
すこし話を竜王戦に移す。
藤井聡太はデビュー時の竜王戦リーグ6組からスタートして毎年優勝して今年も3組で優勝した。
各組の優勝者は挑戦者決定戦トーナメントに出場できるから、実はトーナメントを全部勝ち抜けば3年前にも2年前にも昨年も藤井聡太は竜王戦挑戦者にはなれたが、6組、5組、4組、今年の3組と、4年連続で敗退している。
これも、藤井聡太にとっては知られざる挫折である。
ちなみに、渡辺明は、竜王戦の4組のときに優勝し、そのまま挑戦者決定戦を勝ち抜き、竜王位を獲得している。
20歳のときである。
羽生善治は、竜王戦3組で優勝して、19歳2か月で竜王位を獲得している。
この羽生善治の記録が、竜王位獲得の最年少記録である。
藤井聡太はこの記録も達成できなかった。
やはり知られざる挫折である。
話を名人戦に戻す。
名人戦ともなると、将棋界のタイトルの中では、一番挑戦できるまでに時間がかかるタイトルである。
竜王戦にも存在するような、バイパスルートが、一切ないのである。
名人戦順位戦A級入りするには、1年に1回、一組づつ階段を上がるように昇格していくしかなく、プロデビューのC級2組からA級昇格まで、最低まる4年必要である。
名人戦挑戦者決定戦に出るにはどんなに短くても5年目になる。
現時点で、藤井聡太二冠は、名人戦順位戦は、まだB級2組であり、A級の下がB級1組であるから、まだ2クラス下に在席している。
藤井聡太二冠は、名人戦順位戦リーグで、ストレート昇格していない。
実は、C級1組リーグ戦において、激戦の末に同じ勝敗数ながら、昇級したばかりで順位が低かったために、ギリギリで昇級を逃し、1回足踏みしたことがある。
そのときに昇級したのが近藤誠也現七段、杉本昌隆現八段(藤井聡太の師匠)であった。
藤井聡太は、昇級した近藤誠也にリーグ戦で敗北していたので、誰に文句の言いようのない、足踏みであった。
これもまた、天才藤井聡太の知られざる挫折である。
藤井聡太を足踏みさせたこの近藤誠也棋士は、このときB級2組入りしたことで六段になり、そのB級2組も一期で抜けて昇級昇段して七段となった。
1996年生まれの若手でとんとん拍子の昇段昇格を重ねている、若手の中でも何本の指に入るといっていい、上り調子の棋士である。
AbemaTVが現在開催している早指しのフィッシャー・ルールのAbemaTVトーナメントにおいて、チーム永瀬とチーム渡辺の決勝戦が2020年8月22日(土)に迫っているが、近藤誠也七段はチーム渡辺においてここまで大活躍している。
チーム永瀬に属する藤井聡太は、近藤誠也七段にリベンジを果たすのか、はたまた、またもや近藤誠也七段は二冠となった藤井聡太にまた敗北を味合わせるのか、大注目である。
さらにチーム渡辺の渡辺明は、つい先日棋聖戦で藤井聡太に1勝3敗で敗れて棋聖位を奪われたばかりであり、そのリベンジに燃えている。
因縁の復讐戦が、今週末のAbemaTVトーナメント決勝戦で再現される。
さて、杉本昌隆に到っては、1968年11月生まれの当時50歳であり、50歳でのB級2組昇格は史上4位の年長という快挙だった。
師匠の杉本昌隆は、その後タイミングよく八段にも昇段し、藤井聡太七段に一歩先行し師匠の面目を保った。
杉本昌隆の八段昇段は、泥くさく、七段昇段後公式戦190勝の昇段条件による昇段である。
このときのC級1組リーグ昇格争いは、本当に見もので、藤井聡太を足踏みさせて昇格した2名に対しても、誰しもが拍手喝采を送った。
こうやってみると、藤井聡太は、実は、数数の挫折を味わっている。
藤井聡太は、現在二冠とはいえ、名人戦以外の5タイトルについては、これまで、予選や決勝で毎年一敗地にまみれてきた。
勝率8割を超えながら、その数少ない2割に、タイトル戦の予選本戦で敗退という痛い敗北が結構な割合を占めている。
敗北があってリベンジがある。
藤井聡太は、負かされてきた相手には、だいたいリベンジを果たしている。
まだリベンジを果たせていないのは、豊島将之竜王相手くらいであろうか。
しかし、すでに、藤井聡太にまかされてきた棋士が、藤井聡太へのリベンジを虎視眈々と狙っている。
多くの棋士が、年若い藤井聡太との棋戦において、燃えに燃え、準備を重ね、新手を披露し、とっておきの研究手をぶつけてきている。
なにしろ、藤井聡太戦は、ほぼ確実にAbemaTVで放映され、全国紙の新聞にも対戦相手=敗者の名前入りで掲載されるのである。
棋士として、気合いも入ろうというものである。
戦う度に、相手の棋士が、若手の勝ちまくっている棋士どころか、トップ棋士まで含めて、ここぞとばかりに新手や研究手をぶつけてくるわけである。
藤井聡太が長考に沈み、時間の使い方のコントロールに苦しむ場面は、ここ2年ほどほんとうに多かったが、むべなるかなである。
そういう、未踏の領域を、頭を振り絞ってその場で切り開いていくしかない、切った張ったのシビアな真剣勝負を、頻繁に、数多く経験するほどに、能力は飛躍的に向上する。
なにも将棋だけに限らない。
藤井聡太の棋戦をずっとみていて思うのは、シビアな真剣勝負において、とことん考え抜き、やるべきことをやりつくすことの大切さである。
このコロナウイルス騒動で、学校が3~4ヶ月休校になったわけだが、藤井聡太が、その間、飛躍的に棋力を伸ばしたことは、前後の棋戦をチェックしてきた者には一目瞭然である。
雑念を払い、集中し、時間を掛けて準備することの大切さを痛感する。
結局、人が、一番、力を伸ばす場面は、雑念を払って集中をして、頭をフル回転させて、膨大な試行錯誤とブラッシュアップを、短い時間で繰り返すことである。
努力は嘘をつかない。
しかし、やみくもな努力ではなく、集中と効率を最大限にすることが大事である。
そこに、挫折経験が加わることで、さらに伸びる。
数少ない挫折を、人の何倍も重く受け止め、何倍も悔しがって、何倍ものバネにすることができる。
少ない失敗を、短い間に経験し、人の何倍もレバレッジして、能力向上に生かした者が、速く成長する。
それが、人の成長スピードと伸びしろの差となるのである。