相続放棄の落し穴(2) 単純承認

相続放棄の落し穴として、素人の方が一番ハマってしまいかねない点は、相続財産の「処分」をしてしまって単純承認による相続の確定という事態を招くことである。

これはほんとうに怖い。

子供でも、親と交流が乏しく、まして資産や負債の詳細は伝え合っていないことが多い時代である。

それが、子供がいないケースで、兄弟であったり、伯父甥姪という関係で相続となると、負債のあるなしなど、わかるわけがない。

亡くなった方が実は、他人の債務、知り合いの会社の借入や賃貸借契約の保証をしていた場合ともなれば、さらにそうである。

信用保証協会の保証債務などは、昔は、金融機関や信用保証協会が会社代表者以外の親族友人知人までを何人も保証人に取り付けて融資をしていたりした時代があったために、焦げ付いた際に、会社はとうに破産して消滅しているのに、連帯保証人の債務だけは残ったままとなり、損害金が元金より膨れ上がって10年20年とそのまま、というケースは決して珍しいものでは無い。

こういった、亡くなった方に、負債のあるなしもわからない状態で、遺品の処理、賃借していたアパートの退去の処理などを、家主から言われて、やらざるをえない、という、兄弟や甥姪が現実にいる。

相続人の中でも、嫌がる人はこんな話は回避するので、律儀な人ほど、そういう死後の遺品整理などに携わらざるを得なくなってしまうのが現実である。

しかしながら、それが相続財産の「処分」とみなされてしまうと、民法921条1号の「相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし保存行為及び第602条に定める期間を超えない賃貸をすることはこの限りでない」に該当して、相続の単純承認となってしまう(おそれがある)。

やっかいなことに、民法921条1号の「処分」とは、法律用語一般の用法と同じく、売却その他により財産の現状や形質を変化させる行為をいうとされており、つまり、毀損(廃棄)も含むとされる。

つまり、縁遠かった被相続人の遺品整理をしてあげて、あとで債権者から相続人宛に突然通知がきてはじめて負債が発見されて、相続を放棄したいと申述しても、債権者がことさらに問題視して争えば、遺産整理を担当した人に限っては、被相続人の莫大な借金を背負わされてしまうおそれがある、ということなのである。

それでは、亡くなった方の遺品整理を兄弟や甥姪がやってあげるなんてことはリスキーなばかりで、相続人以外の人に迷惑をかけるほうがまし、自己防衛上やむなしとなって、放置するしか無いわけで、なんとも空恐ろしい殺伐とした話ではないだろうか。

私は、弁護士となって以来、数々の相続放棄事案に関わっているが、この問題は、いつも、頭を悩ませ、ヒヤヒヤしながら、相続人の方々にくどくど注意しながら、進めているポイントである。

裁判例も、必ずしも、わずかな財産の処分までを、単純承認とみなしているわけでもない。

しかしながら、戦前の判例である、大審院昭和3年7月3日判決が、衣類の形見分けという事案で、「一般経済価額を有するものは勿論相続財産に属する」として単純承認を認定してしまい、あいまい、広範に、遺産の処分を理由とする単純承認を認める余地を作ってしまっていて、これがいわばリーディングケースとなって、後に続く実務も相続の単純承認とみなされる範囲を広めに取るように引きずられることとなってしまっている。

昭和初めといえば、着物が質屋に入れられた時代である。

いま、亡くなった方の衣類といえば、仮に呉服であってもよほど上等で無い限り、ほぼ、ゴミのたぐいであり、廃棄にお金がかかるだけのものである。

民法学者のなかにも、こんな裁判例は現代においてはいくらなんでもおかしいという学説が多い。

おそらく大多数の学者は批判的だろうと思う。

実務家の弁護士ともなれば、理不尽だと思う者が大半だろうと思う。

しかし、大審院判例イコール最高裁判例であり、先例主義のくびきは重い。

東京高裁昭和37年7月19日決定は、経済的交換価値を失うほどに着古した上衣とズボン各1着を元使用人に与えた事案において、上記の大審院判例を引用して、「その経済的価値は皆無といえないにしても、いわゆる一般的経済価格あるものの処分とはいえない」として、単純承認を否定した。

単純承認の否定事案としてほかに、山口地裁徳山支部昭和40年5月13日は、不動産、商品、衣類等の相当多額の相続財産を遺して無くなった夫と別居していた妻が相続放棄をする前に形見として背広上下、冬オーバー、スプリングコートと位牌を持ち帰り、時計と椅子2脚(うち1脚は脚が折れていた)の送付を受けて受領した、と言う事案で、「信義則上相続人に限定承認または放棄の意思なしと認めるに足りるが如き処分行為」には該当しない、とするものがある。

いやはや、こんなことが争われるとはなんともセコい!というしかない裁判例である。

これで相続人を責める債権者もセコいし、一応助けてくれたとはいえ裁判所もセコい。

裁判官は世間を知らない、市井の庶民感覚と情誼を知らない、いや、こんな民法の条文の不条理を100年も金科玉条のように改めないで解釈している法律家や政府はどうなんだ、といわれてもしかたがない。

たとえばであるが、民法を改正して、全債権者の債権総額の10%とか20%以上にあたる財産を処分していたのなら、単純承認とみなす、20%未満でも、それを処分した相続人には債権者に処分による損害を賠償する義務を負う、というくらいの規定のほうが、バランスが取れていると思う。

なお、処分したのが相続人でないものであれば、単純承認の問題にはそもそもならない。

もちろん損害賠償の問題は生じる。

但し死んだ人の家財道具の廃棄による損害の立証となると、生活の中身を知りもしない債権者などから、これが廃棄されたなどと主張立証をしようにも、およそ容易ではない。

そもそも、特殊な資産家でもない場合に、家財道具を有価物とみなすほうが、現代社会の現実にそぐっていないように思うのは私だけだろうか。

そうはいっても、民法921条1号の条文が変わる気配もないし、最高裁がドラスティックに判例変更してくれるとも思えない。

だから、相談者には、遺品整理のリスクをくどくどと説明しなければならないことになる。

被相続人の家の家捜しをまず行い、財産よりも、まず、借入の有無の調査である。

クレジット会社からの通知書があるか。

銀行や信用保証協会などの通知書はあるか。

クレジットカードはあるか。

サラ金のカードはあるか。

預金通帳があれば、クレジットカードの引き落としや返済があるか。

生活を知る人から、借金の話を聞いたことがあるか。

ここまで調べてからでないと、遺品整理をしたり、預金口座から遺品の処理のためのお金を引き出したり、預金口座の解約などを進めるのは、まずいのである。

借金の形跡があったら、直ちに相続放棄を検討しなければならない。

アパートを借りている場合は、家主には申しわけないが、家庭裁判所への全ての相続人の相続放棄申述をまず先行させて、家庭裁判所が受理をしてから、おもむろに、遺品整理にかかる。

でも、家主への原状回復債務などがあるわけで、それに対応しようとすれば、遺品整理する人の財布から持ち出すしかないが、それも一歩間違えると相続財産からの債務の弁済となり、単純承認といわれかねない。

ここの分れ目の理屈は素人には極めてわかりにくいが、以下で紹介する。

相続人が、被保険者が死亡した場合死亡保険金を法定相続人に支払う旨の条項がある死亡保険金を原資として被相続人の相続債務を一部弁済した行為が「相続財産の処分」に当たらないと判断された高裁判決がある(福岡高等裁判所宮崎支部平成10年12月22日決定)。

そもそもこういった保険契約は、保険金受取人を被保険者の相続人と指定した場合と同様、被保険者死亡の時におけるその相続人のための契約であって相続財産ではないとされている(最高裁昭和40年2月2日判決、最高裁昭和48年6月29日判決)。

この最高裁昭和40年2月2日判決が、「相続人らのした熟慮期間中の被相続人の相続債務の一部弁済行為は、自らの固有財産である前記の死亡保険金をもってしたものであるから、これが相続財産の一部を処分したことにあたらないことは明らかである」として、相続人の固有財産による弁済は、921条1号の弁済にあたらないとして単純承認にならないとした。

しかしながら、相続財産に相続人自らの財産を加えて相続債務の弁済をした後で限定承認の申立をしたケースで、処分行為に該当し単純承認になるとして、相続の限定承認が却下された事例もある(富山家庭裁判所昭和53年10月23日審判)。

この富山家裁の審判は「債務弁済の動機が大口の相続債権者の示唆によるものであり、また、遺産中の積極財産の処分が、もっぱらその消極財産の弁済に充当するためなされたものであることを考慮に容れても、処分された積極財産がすべての積極財産中に占める割合などからみて、その結果、遺産の範囲を不明確にし、かつ、一部相続債権者(特に大口の相続債権者)の相続債務に対する権利の行使を著しく困難ならしめ、ひいては相続債権者間に不公平をもたらすこととなることはこれを否定できないので、このような行為は、民法第921条第1号にいういわゆる法定単純承認に該当する事由と解せざるを得ない」として、単純承認を否定したのである。

要は、「遺品整理は、遺品整理をする人が、自分の固有財産から負担して実行しろ。もし被相続人の財産から支出したら、被相続人の借金は全部背負わせるぞ」という理屈である。

どうやら、被相続人の財産(預金や現金、動産を換価してお金に換えたもの)を交えず、相続人が自分の固有財産だけで弁済する場合は、処分行為にあたらず、単純承認にならない、というのが、裁判例から推測されるかろうじて推測できる基準のようには思われる。

しかし、こんな微妙な理屈が、素人の方に、まともに理解出来るわけもない。

相続人がアパートの家主相手に原状回復に自腹を切ることも、そこに被相続人の預金の解約などが伴っていると、極めて危ないのである。

普通の市井の人の感覚からすれば、なんで、そこまで自腹で、遺品整理をしなければならないのか、裁判所はそんなことを市民に強要して、一体何様?となるであろう。

どうも、この少子高齢化時代、独居老人があふれかえって、縁遠い親戚がやむなく遺品整理をさせられることが甚だ多いこの時代に、裁判所の頭も、民法学者の頭も、まったくついて行っていないのである。

つまり、よほどのお人好しでもなければ、家主にも、原状回復費用は出せないと、断るしかない。

さらに、相続放棄申述後でも注意点がある。

民法921条3号は、相続の放棄をしたあとであっても、相続財産の一部を隠匿し、わたくしに消費したときには、単純承認とみなされると、規定している。

全員が相続放棄した後に、遺品を捨てるだけであれば、921条3号による単純承認にはならない。

しかし、形見分けに自分がもらってしまったり、人に配ったりしたら、やはり、相続放棄前の遺産整理と同じ単純承認の問題が生じてしまうのである。

つまり、遺品整理の際、何も持って帰ってはいけない。

こうなると、遺品整理というのは、手順を間違えると大変な、おそろしく神経を使う面倒くさい話である。

が、現行の法律の下ではそういうものだと、アドバイスするしか、しようがない。

弁護士にとっては、相談者が家主ということもあって、家主の側からみて、死亡した賃借人の遺品整理を親族に請求してやってもらうこともあるわけである。

家主としては一刻も早く遺品整理を済ませて明け渡してもらいたい。

ほんとうに悩ましい限りである。

ちなみに、相続人が、こういった作業を、遺品整理業者に代行させても、代行させただけであって、相続人がおこなったことと同視されるので注意が必要である。

もっとも、現実には、債権者が、そこまでネチネチと、相続放棄した相続人に対し、遺品整理の処理について重箱の隅をつついて追及することは稀ではある。

多くの場合、金融機関やサービサー、信販会社などプロの債権者からすれば、相続人全員の相続放棄が確認できれば、無税償却に進めてしまうからである。

変に単純承認の有無を追及する方が、その間は無税償却もできず、回収コストもかさんでしまう。

それでも、債権者が争えば危ないわけであり、裁判所がわざわざ厳しくチェックをかけて限定承認や相続放棄を否定する判断をすることもある。

法律は法律だといわれれば、実務家としてはそれまでなので、ヒヤヒヤしながら、我々はアドバイスをしなければならないのである。

西村幸三

lawfield.com

京都・烏丸三条にある法律事務所を運営。ニュース・法改正・裁判例などから法務トピックを取り上げていきます。