西村法律事務所のWebサイトのタブ「珠玉のことば」https://www.lawfield.com/proverb.htmlに、私が心の拠り所とする書籍や心に刻み込まれた文章をアンソロジーとして集めているのでその中から抜粋して紹介する。
一遍は時宗の宗祖である。
鎌倉時代から室町時代においては、浄土教系の教団としては、時宗の踊り念仏が、ブームとなり、念仏集団として、最大の勢力を誇っていた。
しかしながら、宗祖自らが遊行をよしとしたように、その後継教団の組織性は他宗に比べてかなり緩かった。
浄土真宗は、本願寺教団の蓮如が、農村の「惣」組織への浸透を図り、「惣」の寄り合いと同機会に「講」という飲み食いありの集会を開催する事で、農村部の結束の中に溶け込んで強力な滲透を実現し、室町時代後半から戦国時代にかけて、時宗などほかの念仏教団を圧倒してしまった。
浄土宗は、天台宗など既存仏教教団とも折合いがよく、本願寺教団のように武家支配と対立することもなく、武家や庶民に着実に浸透していた。
時宗は、いわば、鎌倉時代・室町時代中期までに全盛期を迎えた教団である。
ブームを呼んだ最大のポイントは、歌と踊りである。
一遍の和讃は、浄土教団の宗祖の和讃の中でも秀逸といえる。
法然の和歌や親鸞・蓮如の和讃も実にすばらしい。
なかでも、一遍の和讃は、リズム感、言葉の選択、芸術性、無常観、浄土教の教義のエッセンスの集約などにおいて、すぐれて胸に訴えてくるものがある。
鎌倉時代・室町時代は、地球の寒冷期にあたり、厄災飢饉がしばしば世を覆った時代であった。
リズミカルな七五調の別願和讃を歌い踊りながら極楽往生を願った衆生の姿を思い浮かべながら、詠んでみるのがお勧めである。
別願和讃
身を観ずれば水の泡 消えぬる後は人もなし
命をおもへば月の影 出で入る息にぞとどまらぬ
人天善所(にんてんぜんしょ)の質(かたち)をば をしめどもみなたもたれず
地獄鬼畜のくるしみは いとへども又受けやすし
眼(まなこ)のまへのかたちは 盲(めしい)て見ゆる色もなし
耳のほとりの言(こと)の葉は 聾(みみしいて)てきく声ぞなき
香(か)をかぎ味(あじわい)なむること 只しばらくのほどぞかし
息のあやつり絶えぬれば この身に残る功能(くのう)なし
過去遠々(おんおん)のむかしより 今日今時(こんにちこんじ)にいたるまで
おもひと思ふ事はみな 叶はねばこそかなしけれ
聖道(しょうどう)・浄土(じょうど)の法門を 悟りとさとる人はみな
生死(しょうじ)の妄念つきずして 輪廻の業(ごう)とぞなりにける
善悪(ぜんなく)不二(ふに)の道理には そむきはてたる心にて
邪正(じゃしょう)一如(いちにょ)とおもひなす 冥(やみ)の知見ぞはづかしき
煩悩すなはち菩提ぞと 聞きて罪をばつくれども
生死すなはち涅槃とは いへども命ををしむかな
自性清浄法身は 如々(にょにょ)常住の仏なり
迷ひも悟りもなきゆゑに しるもしらぬも益(やく)ぞなき
万行(まんぎょう)円備(えんび)の報身(ほうじん)は 理智(りち)冥合(みょうごう)の仏なり
境智ふたつもなき故に 心念口称(くしょう)に益ぞなき
断悪(だんなく)修善(しゅぜん)の応身(おうじん)は 随縁治病の仏なり
十悪五逆の罪人に 無縁出離の益ぞなき
名号(みょうごう)酬因(しゅいん)の報身は 凡夫出離の仏なり
十方衆生の願なれば 独(ひとり)ももるる過(とが)ぞなき
別願(べつがん)超世(ちょうせ)の名号は 佗(他)力不思議の力にて
口にまかせてとなふれば 声に生死の罪きえぬ
始(はじめ)の一念よりほかに 最後の十念なけれども
念をかさねて始とし 念のつくるを終(おわり)とす
おもひ尽きなんその後に はじめおはりはなけれども
仏も衆生もひとつにて 南無阿弥陀仏とぞ申すべき
はやく万事をなげ捨てて 一心に弥陀を憑(たの)みつつ
南無阿弥陀仏と息たゆる これぞおもひの限りなる
この時極楽世界より 弥陀・観音・大勢至
無数(むしゅ)恒沙(ごうじゃ)の大聖衆(だいしょうじゅ) 行者の前に顕現し
一時に御手を授けつつ 来迎引接(いんじょう)たれ給ふ
即ち金蓮台(こんれんだい)にのり 仏の後にしたがひて
須臾の間に経る程に 安養(あんにょう)浄土に往生す
行者蓮台よりおりて 五体を地になげ頂礼(ちょうらい)し
すなわち菩薩に従ひて 漸く仏所到らしむ
大宝宮殿に詣でては 仏の説法聴聞し
玉樹楼(ぎょくじゅろう)にのぼりては 遥かに佗(他)方界をみる
安養界(あんにょうかい)に到りては 穢国(えこく)に還りて済度(さいど)せん
慈悲誓願かぎりなく 長時(ちょうじ)に慈恩を報ずべし