羽生善治の凋落から復活と将棋会館建替問題の今は昔(2)

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1997年の羽生善治といえば、1995年に7冠を達成して、当時も4冠保持者だった。

 

羽生善治がまとめた将棋会館の建て替え案は、建て替え費用を、棋士が収入額(名人順位戦のランクで決まる連盟からの給与のほか獲得賞金)に応じて負担するという案であった。

 

羽生善治は当時圧倒的な賞金獲得王であり、とうぶんの間羽生善治が賞金王であり続ける見込みであったから、羽生善治が一番負担額が多くなるわけである。

 

若手棋士はむしろ負担額が少ない。

 

当時、なぜ若手棋士が反対に回ったかは、反対派賛成派で見方が異なるはずで、藪の中である。

 

若手棋士は段位も順位戦のランクも低いから収入も少ない。

 

収入が多い、つまり会館建設の負担が大きいのは、順位戦のランクが上で、段位が上の、ベテランから棋力充実の中堅棋士である。

 

建設時の一時の寄付は、ベテラン会員やタイトル保持者やタイトル経験者ほど多額の奉加帳が回されることとなったはずである。

 

なぜ負担の少ない若手棋士が、羽生善治案への支持を表明しながら、投票では見送り(反対)案に投じたのか。

 

ひとつには、将棋界には師匠・弟子の関係があったからだろうと思われる。

 

弟子は師匠から、入門以来、奨励会在籍時の指導、プロ棋士デビュー、その後も世話になり続ける立場であり、一方で師匠は金銭面も手間も世話も持ち出し一方であるから、弟子は常に師匠に恩義を被り続ける。

 

人の世話をしようという心意気で師匠になる棋士のまわりには当然、師匠の師匠筋と言った一門ほか、人間関係の義理の網が張り巡らされている。

 

年配層に属する師匠から棋士総会での投票行動を指示されれば、別に盤面で八百長をするわけではないから、ほとんどの弟子は師匠、または兄弟子らの投票行動に従うことになる。

 

つまり、目先、会館で将棋は指せているのだから無駄な金を払いたくないという気持ちの棋士が一定数居れば、人間関係による切り崩しが起きてしまうのである。

 

将棋連盟の委員会から提唱した案が大差で否決(検討延期)されたということは、執行部側の締め付けがあまりなされていなかった一方で、反対派が組織的に切り崩しをおこなったからだと思われる。

 

実質的な提唱者となった羽生善治(当時27歳)のショックが大きかったことは想像に難くない。

 

なにしろ若手棋士の説得役が羽生善治だったからである。

 

当時の羽生善治のイメージは私もよく覚えていて、「羽生睨み」といって、対局中に相手を知らず知らず睨み付けるのである。

 

また、それ以前の棋士のように簡単に投了しないのが、羽生世代以降の特長である。

 

だから、年配の棋士は、大優勢の将棋を指しているのに、終盤ギリギリの秒読みで、羽生善治を始めとする羽生世代に大逆転負けを喫してしまう。

 

詰み上がりの数手前まで投了せず、「潔くない」「投了図が美しくない」と批判されようと、盤上での勝負にひたすらこだわる。

 

寝癖も一向に気にしない。

 

盤面以外ではといえば、将棋研究の場には出ていくものの、まだ20代、ひょうひょうとした孤高のタイプで、言ってみれば、群れない。

 

昔の棋士は、麻雀や飲酒三昧で群れていた棋士も多かったが、羽生善治には無縁であった。

 

タイトルを総なめにされ、世間の注目は羽生善治一点に集中し、ベテラン中堅若手問わず、羽生善治のことが面白かろうはずもない。

 

盤面では勝敗の結果のみであり、実力でかなうわけもない。

 

羽生善治は、マスコミに流れた情報から、対局相手の先輩への配慮を欠くと攻撃されたことも一度ならずあった。

 

将棋連盟内部で一部棋士からそういう声があったからこそ、一部の新聞や週刊誌にリークされたのである。

 

この辺は、全盛期の大山康晴の立ち位置と似ていたかもしれない。

 

羽生善治は、大山康晴の全盛期よりなお若く、女性人気も高く、マスコミフィーバーは、新聞中心の大山康晴時代と異なり、ワイドショーにまで及んだ。

 

そんな羽生善治が先頭に立って、会費の増額をうったえたとして、乗る義理はないと考えた棋士が、あらゆる世代で相当数いたとしても、不思議ではなかったのであろう。

 

羽生善治が敗れ去ったあと、将棋連盟の運営側、執行部側への関与を避けるようになったというのは、むべなるかなであった。

 

言ってみれば、自分には人気がない、人望がない、ということを痛感した、ということであろう。

 

その後も羽生善治は6冠から3冠ほどを維持し続ける。

 

しかし、2017~2018年前後に、広瀬章人、菅井竜也、中村太地、豊島将之、渡辺明らに立て続けに破れ、タイトルを全部失ってしまう。

 

さらに、その後もタイトル戦挑戦者まではいくのだが、4連敗をして、2020年竜王戦を最後に、今回の王将戦までの間、タイトル戦挑戦者にもなっていなかった。

 

2021年度には、名人順位戦A級からも陥落した。

 

若手棋士との勝負での敗け方は、次第に凡庸なものになり、渡辺明・豊島将之・永瀬拓矢・藤井聡太が4強と呼ばれ、「羽生善治は完全に終わった」、と言われた。

 

しかし、実は、上記のように、2018年ころから、羽生善治は将棋会館の建て替えについて、今度は準備委員会の委員長に選ばれ、内密に、外部の関係各所(ヒューリックや高槻市)や将棋連盟内部の調整、根回しに追われ、忙殺されていたのである。

 

ちなみに羽生善治に会館建設準備委員会委員長を委嘱したのは、羽生世代の佐藤康光将棋連盟会長であり、また会館建設準備委員会の委員の森内俊之とは、島朗主催の島研での若き日の研究仲間である。

 

ちなみに、会館建設準備委員会には、関西の棋士から、糸谷哲郎、久保利明という、若手棋士にも人望の厚い、棋士の中でも交流の広い棋士を委員に選んで、押さえとしている。

 

羽生善治としては、今度こそ、将棋界の未来のために、という思いで、将棋連盟内外にわたって研究と調整に、膨大な時間と労力を費やしてきたことに想像は固くない。

 

折しも、藤井聡太フィーバーが訪れ、将棋というコンテンツの価値が、新聞という落ち目の媒体から、テレビのワイドショーだけでなくインターネットへと拡がり、アクティブなファン層は飛躍的に拡大した。

 

会館建設資金は予想以上の順調さで集まり、名古屋会場までトヨタ自動車に用意してもらえるという僥倖まで得た。

 

表向き、この3会館建築のスポンサーや寄付集めにおける表の最大功労者は、フィーバーの原動力、藤井聡太であろう。

 

しかし、陰の最大功労者は、やはり羽生善治なのだろうと思われる。

 

盤上では「羽生は終わった」と言われながら、ひたすら会館建設準備委員会での作業に従事した末に、2021年までに、東京の将棋会館、関西将棋会館、さらには名古屋会場までを、実現したのである。

 

しかしその2021年度には、公式戦の年間成績は14勝24敗に終わり、プロ入り36年目で初の年度負け越しとなった上に、29期連続在籍した名人順位戦A級から陥落するという、憂き目に遭い、「今度こそ本当に羽生は終わった」と繰返し報道された。

 

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西村幸三

lawfield.com

京都・烏丸三条にある法律事務所を運営。ニュース・法改正・裁判例などから法務トピックを取り上げていきます。